借金のカタに取られました
残された車内では、航平がかけた洋楽がかかっている。

事前に言わないのは、もう慣れたが、航平が車から降りたのでカズさんに愚痴を言う。

「いつも何も言ってくれないんです」

カズさんは笑いながら

「小さい頃からですよ。いつも運動会や遠足も、前の日に言うものだから、慌ててお弁当の用意をしたのよ。それからは、いろんな材料を冷凍庫に準備しておくことにしたのよ」と笑う。

話している間に、航平は紙袋を手に戻ってきた。

「俺の悪口は終わったのか? さっき、くしゃみが出たぞ」とシートベルトを締めながら言うと

「航平さんには褒める所しかなくて、悪口なんてね」とカズさんは私の顔を覗き込む。

「ねっ」とカズさんの顔を見て応える。

「女は集まると悪口が出るからな。陰で何を言われているかわからない」と言いながらアクセルを踏んだ。

千那とカズさんは、二人で笑い合った。

一時間ほどで目的地に着き、三人は車を降りる。

旅館は荘厳な雰囲気で、一目で歴史のある建物だとわかる。

フロントには着物姿の仲居さんが何人も並んでいて、荷物を持ってくれる。

「成人式ですか? お綺麗ですね」と声を掛けられて自分も着物だったことに気づく。

航平はフロントの手続きを済ませて、カズさんに鍵を渡した。

カズさんには一人部屋を用意し

「今日は俺たちの世話はしないでゆっくりして下さい。それにカズさんの好きな陶器市が開催されているので、食事までの間に見てきたらどうですか?」とフロントでもらっただろうチラシを渡すと

「まぁ、一度来たいと思っていたの。さっそく行ってくるわ」と子供のように喜んだ。

こうした気遣いが航平には備わっていて、自分も見習いたいと思う。

部屋に入り荷物を置き、窮屈な着物を脱ごうと帯に手を掛けると、航平が手伝ってくれる。

優しいところがあるんだなと感心していると、急に目に映る景色が部屋の天井に変わる。

千那を押し倒して、気づくと航平の顔が近づき着物の裾をまくり上げてくる。

「ちょっ、ちょっと」

「一度、着物の女とこうしたかったんだ」と言うと初めてとは思えない手慣れた手つきで、どんどん着物は脱が
され、肌襦袢一枚になる。

「この格好もなかなかだな」と悪人顔で迫られる。

もしかして何も言わずに式に迎えに来たのは、着物から洋服に着替えさせないようにしたのかと思うと、その計画性に感心する。

裾をたくし上げられると、千那も知らず知らずのうちに興奮を覚えていた。

航平はそれを察したように、激しく求めてきた。

着物や帯が散乱した横で、どのくらい時間が経ったのだろう、千那は余韻を感じながら仰向けになっていた。

「そろそろ、飯に行くぞ」と航平に言われて慌てて服を着た。

個室の食事処で、カズさんと三人で懐石料理を頂く。

陶器市で買ってきたお皿や茶碗を、嬉しそうに見せてくれた。

食後、カズさんと露天風呂へと出かける。

頭上には星が瞬き、月もぼんやりと浮かんでいる。

「カズさんって、どういう経緯で箕島家に来たのですか?」

「そうね。私は高校を卒業して、普通の事務員として働いていたのです。数年後、社内結婚し退職して、一人息子が生まれ、平々凡々な生活を送っていました。ところが息子が五歳になる頃、病気で亡くなって、夫婦関係はぎくしゃくし離婚したのです。きっと二人とも若かったのね。現実を受け入れられない上に、相手を思いやる余裕がなくてね。自分の方が悲しんでいるってお互い思っていたのね。どちらの責任でもないのだけど、誰かのせいにした方が楽だったのかも知れないわ」

「ごめんなさい」もう話さなくていいという表情をする千那に

「いいのよ。話させて」と言って続ける。

「悲しみに暮れる日は続いたのだけど、よく考えたらこれから一人で生きて行かなくてはと考えようやく立ち上
がったの。でも私、何も出来ないって気づいたわ。会社での仕事なんて電話番と伝票整理だけ。それも数年。それに気づいて愕然としたの。この先、生きていけるのかなって。自分の出来ることを考えたけど何一つないの。これではダメだと思って、得意じゃなくても好きなことを考えようと思ったらそれが料理でした。そこでホテルの厨房での仕事を見つけて、調理補助や盛りつけをしながら、色々学ばせて貰ったわ。それに一流ホテルだったから、和食やフランス料理、中華のコックさんがいてね。休みの日や休憩中に色々教わって。それにホテルって一流の人の集まりだと言うことにも気づいたの。料理のプロ、清掃のプロ、接客のプロ、着付けのプロ、生け花のプロ。それからはその人達に頼み込んで教えて貰ったり、教室を紹介してもらったりして自分の物にしていったわ。丁度その頃、ホテルの支配人から、箕島家の家政婦の仕事を勧められてね。料理や清掃、それに小さなお子様のお世話も出来る方を探しているとね。迷ったのだけど、息子がもし生きていたら、同じ年位のお子さんがいるとわかって決めたの。これが航平さんなのだけれど」

水を飲みながら、空を見上げた。

「そして箕島家に雇われた事で全てが役に立ったわ。料理、洗濯だけじゃなく、パーティーもよく開催していたので、接客、生け花、着付けなんかもね。でも、一番は航平さんのお世話だったわ。ご両親は忙しくて殆ど家で航平さんと顔を合わすことがありませんでしたので、私がつきっきりでお世話させていただいて。それで航平さんが十歳になった頃に、ご両親が仕事の拠点をアメリカに移すことになって」

「ご両親は、アメリカにどうして航平を連れて行かなかったのですか?」

「航平さんが行きたくないっておっしゃって。私と日本にいるって聞かなかったの。私は内心嬉しかったのですが、やはり両親といるのが一番かと思って説得はしたのですが、頑として首を縦に振らなかったのです。きっと頭の良い子だったので、アメリカにいっても一人になるって感じてらしたのでしょうね。両親は諦めて置いて行かれました」

小さい頃の航平を思うと胸が痛くなった。自分も両親からは育児放棄に近い形で過ごしてきたので、寂しさは共感出来た。

「そして、航平さんは運動会や授業参観があると、私に来てほしいと言って下って。本当に息子を見るように、喜んで参加させて貰って。そして、高校を卒業する頃に、今まで甘えてきたけど、一度一人で暮らしてみますといってイギリスの大学に留学されたのです。でも、お留守の間、お屋敷の清掃や庭のお手入れはずっと私がさせてもらって、月に一度はイギリスから必ず航平さんがお電話をくれてね。絵はがきも時々送ってくれて」

「優しいのですね。国際電話なんて」

「ええ。元気ですかとか、イギリスの冬は寒いですといった簡単なものでしたが、それらの心遣いに胸が熱くなりました」

そんなマメな事をしていたなんて、想像も出来ない。

「そして、卒業されて帰ってこられたらすぐに、今の航平さんのお宅に呼んでいただいたのです」

初めてカズさんの特技の多さと、航平との強い繋がりが理解出来た。

お風呂から出て部屋に戻ると

「えらい長風呂だな」とこちらを見ずに呟く。

背中を見ながら、いつも傲慢だけど、小さい頃はカズさんを頼り、今度は、そのカズさんをいたわり、優しい部分が心の奥底にあるのだなと愛おしくなる。

航平はくるりと振り返ると

「お前、社内旅行の時、浴衣でやって興奮していたな。またやるか」と言う言葉を聞いて、今思ったことを否定したくなった。

次の日は海を見に行ったり、海鮮バーベキューをしたりと楽しい時間を過ごした。

昨日のカズさんの話を思い出すと、この二人が本当の親子のように見えて羨ましかった。

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