借金のカタに取られました
幻の結婚
旅行から帰ってきた翌日、航平が真剣な面持ちで、千那をリビングに呼んだ。

「千那、お前はもう二十歳だ。成人だ。これから自由にして良いぞ」

「自由? どういうこと?」

航平は、まっすぐに見つめて話し出す。

「家事もある程度出来るようになって、社会人としての経験も積んだ。世間知らずのお前が立派になった。それに身体もな」と言った後、千那の顔をちらりと見て続ける。

「お前、親にいくらで売られたか知っているか?」

静かに首を横に振る。

「四百万だよ。たったの。たったの四百万で娘を売ったんだよ。どんな担保でもとは書いてあったが、普通は土地や店の在庫だろ。耳を疑ったよ。それで探偵会社に調べさせたんだ。お前、ネグレクト受けていただろ? それを知って、いたたまれなくなって保護したんだよ。取りあえず成人するまで預かろうってな。あんな家にいたら、とんでもない奴に金借りて、それこそ風俗に沈められると思ったからだ。俺で良かったよ」

「保護?」と絞り出すように千那が呟く。

「ああ。お前、本当に結婚していたと思ってのか?」と笑う。

「お前さ、健康保険証の名前星田だろ?」

「それは航平が旧姓でって言うから」

というと鼻で笑い、

「本当に世間知らずだな。旧姓で健康保険証は発行されねえから。馬鹿だな。そういうことが心配だから俺が教育したんだよ」

「でも……」と言いにくそうに千那がしていると

「ああ、身体ね。お前、全く経験が無いと、とんでもない男に引っ掛かるぞ。これで少しは男を見る目も養えるはずだ。世間知らずのバージンなんて、男の良いカモだ。女が男に入れ込んで騙されて終わり。これからは好きな男と付き合え。それにお前の給料はちゃんと貯金してやっているから心配するな。高校の奨学金も返済しておいたから。ここを出て一人で生活するならそれでもいいが、お前の給料じゃ、会社から通勤二時間以上の所しか借りられないだろ。安心しろ。男が出来るか、結婚するまでここにおいてやる。今日から、お前には指一本触れない。今までよく頑張ったな。もうお前はどこに出しても恥ずかしくない女になっているんだから、自信持って生きろ」と言い残し、頭を撫でてリビングを後にした。

全身の力が抜ける。涙が流れ落ち、もう私は航平の事を、本当に愛しているのだと改めて認識した。



二年前

 牧田が社長室にやってくる。

「社長、頼まれていた調査会社からの報告書です」と資料を渡す。

「ありがとう」と受け取り、冊子を開ける。

読みすすめる内に、航平の眉間にしわが寄り、わなわなと怒りと悲しみが身体を襲う。

「こんな環境で良く今まで生き延びてきたな」

「そうですね」牧田も同調する。

「何度も保護されているのに、どうして連れ戻されて居るんだ?」と疑問をぶつける。

「はい。私も疑問に思って調べましたら、暴力は振るわれておらず、毎回、両親揃って引き取りに来るので、施設の方も引き渡していたようです。しかし、近所の話によりますと、この両親は『娘はいつか金になるし、役に立つから渡さない』と回りに吹聴していたそうです」

ボールペンを器用に回しながら

「で、今回、そうなったわけだ」と溜息混じりに、吐き捨てた。

「そのようですね」と牧田もあきれ顔になる。

「こいつ、俺が保護するよ」

牧田は驚き

「どうやって?」と聞き返す。

「どっちみち焦げ付くのも時間の問題だ。その時に俺が引き取る」

その言葉を聞いて

「では本当に借金のカタに取るのですね」と牧田が静かに言う。

「ああ」

何かを決意した表情だった。



成人式の夜の出来事から、なかなか頭の中では整理が出来ていない。

冷静に考えると心当たりがいくつか思いついた。

誕生日やクリスマスに一度もプレゼントを貰っていないこと、高校の修学旅行に監視をよこしたこと、真子に言わ
れて気づいたが、結婚指輪はもらったが、婚約指輪は貰っていない。その結婚指輪も、普段つけることのない環境になっていることなど。

理由はわからないが、不思議なことといえばそうかも知れない。

色々な疑問を打ち消すように、仕事に打ち込んだ。

もうすぐ昇進試験が行われる。事務職からでも、英会話の試験や筆記試験に合格すると、海外部に異動願いを出せるのだ。

今までは与えられた仕事をやってきたが、いつの間にか貿易会社らしい仕事がしたいと思い始めていた。

英会話教室でも会話だけではなく、筆記も習っていたし、教室の先生も受ける実力はついていると背中を押してくれた。


そして試験の日、手応えはあった。学生の頃、テスト勉強を頑張った時の達成感と充実感をあの時のように感じていた。

数日後、社内の廊下に合格者が発表された。

もし名前がなくても、やるだけのことはやったので悔いはないと自分に言い聞かせ名前を確かめる。

「星田千那」という名前を見つけて嬉しくて涙した。

そして、念願である海外渉外部への移動願いを提出した。

今日は、どうしても確かめなくてはいけないことがある。

意を決して航平に話しかける。

「航平、私はコネで入社したんだけど、今回の試験に合格したのは本当に私の力なの?」

パソコンを覗いていた航平は、この言葉を聞いて千那に身体を向けた。

「確かに、お前は入社試験も受けずに俺の会社に入った。それは世間で言うコネだ。しかし、今回の試験には俺は全く関与していない。間違いなくお前の実力だ。自信を持っていいぞ。英語の試験も満点に近かったぞ。移動願いもほぼ叶うだろう。おめでとう」

同期の話を聞いていていつも申し訳ない気持ちになっていたが、これで少しは楽になる。本当に頑張って良かった。航平にも感謝しなくてはならない。

英語を、高校生の時から習わせてくれたのは航平だ。この気持ちに報いたい。少しでも会社の役に立ちたい。まだ気持ちは混乱しているけど、航平の事が好きだから応えたい。

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