借金のカタに取られました
カーナビを、東京のマンションに合わせる。

画面を触っていると、車の窓ガラスをコンコンと叩く音がする。

そちらに顔を向けると、航平が覗いていた。

「どうして?」と驚く千那に向かって

「G・P・S」とゆっくり、はっきりと口の形がわかるように、窓の外で答える。

航平は車の扉を開けて、千那の腕を引っ張り車から出した。

「お前さ、借金のカタなんだよ。逃げられたら困るからGPSは当然だろ? ここまで遠かったぞ。それにマスコミは、牧田がきちんと対応したから大丈夫だ。お前は逮捕されていないし、社内の者にも説明した」

力が抜けて地面に座り込む。

航平は千那の前に同じようにしゃがんで

「もう逃げるんじゃないぞ」と頭をポンポンと叩く。

 言われたとおり、航平の車の後を付いて走る。

千那の車の様子をバックミラーで確認しながら、ゆっくりと走っている。二度ほどサービスエリアに入り休憩した。

航平は何も言わずにコーヒーを飲み、フランクフルトを囓っていた。

「私、クビですか?」と聞くと

「取り敢えず三ヶ月は、海外渉外部に戻って貰う。マスコミの熱ぼりがさめるまでだ。人の噂も七十五日だ。そ
れ以降はまたコンシェルジュに戻してやる。社内では俺が説明しておいたし問題はない。お前の親も打撲程度で傷
はたいしたこと無い。両親には示談金を支払って、二度とお前に近づかないように手続きしておく」

「本当にごめんなさい」

「示談金を払うと言うことは、更にお前の借金が増えたと言うことだ。もう逃げられないな」とにやりと笑う。
航平は本気で言っているのか、冗談で言っているのかわからない。けれど今回の事で迷惑を掛けたのは間違いない。さっき決意したことを言っておこう。

「航平、私、家を出て一人で暮らします」とまっすぐに見つめて宣言した。

航平は少し怒った様子で

「今、逃げられないと言ったはずだ。聞いていたのか?」と苛立った口調だ。

「逃げるのではありません」

「じゃあ、なぜだ」と問いつめられる。

「迷惑掛けましたし、これ以上お世話になるのは申し訳ありませんので」

航平に反応がない。

サッと立ち上がり、無言で車の方へ歩き出す。

慌てて千那も後ろを付いていく。

航平は自分の車に乗り込んだので、千那も車に乗り込み、航平の走り出した車の後ろを付いて走る。

怒らせてしまったのかな、何も言わないなんて。そりゃ、怒るよね。こんな事があったのだから。


都内に戻ってきて、しばらくすると航平の車が停車する。まだ家には着いていない。千那もその後ろに停車させる。

車から降りる航平を見て、千那も降りる。

スタスタと航平は歩き出し、聞いても答えてくれないだろうと思い、後ろ姿を見つめて付いていく。

扉を開けて窓口へ行く。

「区役所?」

航平はポケットから書類を出して、窓口に渡している。

渡された人は書類を確認して

「おめでとうございます」と言った。

窓口を後にして駐車場に向かう。

航平は千那の前に立ち

「今日から夫婦だ。これで家を出る理由はないだろう」

結婚していないと知ったときよりも、衝撃が大きい。

呆然と立ち尽くしていると

「婚姻届を書いたの、覚えているだろ?」

借金のカタに取られたときに、婚姻届を書かされた。高校を卒業した日に、提出したと航平に言われ、自分は結婚していると思っていた。

しかし成人式の日に嘘だと告げられた。でも今度は本当に提出したのだ。混乱してしまって何も言えない。

「一体、どれが本当の航平なの?」

思わず本音が口をつく。

「本当の俺? 全部だよ。嘘はない。初めは本当にお前の保護が目的だった。普通の経験をしてこなかったお前に、当たり前の生活をさせてやりたかった。お前はそれに応えて家事も仕事も頑張った。だから成人したら好きなようにすればいいと思ったんだ。普通の恋愛をして、好きな奴と結婚してくれればいいと思っていた。でも、お前の心は俺に傾いているとわかって、突き放した」

「どうして突き放すの?」

「お前はまだ二十歳だった。仕事ぶりを見ていて、まだまだ成長する能力があった。習い事を無理矢理やらせたが、どれも自分の物にしていくし、特に言語を習得する能力は人より長けている。英語だけではなく別の言語もすぐに習得できるだろうと思った。始めに言ったよな。世間知らずの女が初めての男に必ず入れ込むって。それじゃダメなんだよ。まだ早い。お前にはもっと仕事の楽しさを知って貰って、広い視野を持って貰いたかった。お前は俺を踏み台にして、出世してくれればいいと考えていた。その通り、お前は俺に対する気持ちに蓋をして、どんどん成長していった。英語教室の課程も全て終えて、今はフランス語を勉強している。コンシェルジュとしても評判が良い。もっと成長振りを見ようと思っていたが、今回の事で俺も考えさせられた」

航平の眼差しが突き刺さる。

「でも、私の事、好きじゃないんでしょ?」

前のように信じてしまって、後から否定されるのが嫌で、ここではっきりさせておきたかった。

「確かにお前が今回の事件を起こしたと知ったときに、身を挺して千那が俺を守ったとわかって、心から俺が千那を守ってやりたいと思ったよ。それが好きという感情からきているものなのかは、わからなかった。ただ、今朝、お前の姿がないとわかった瞬間、このまま居なくなるのは耐えられないと思った。居場所は確認したけど、お前に何かあったらどうしよう、お前と一生会えないかも知れないと考えると、今まで経験したことのない感情が湧き上がったんだよ。心が張り裂けそうで、全て失っても、お前だけは失いたくないって。その時初めてお前のことを愛しているってわかったんだ。きっと、出会ったときから好きだった。お前を抱いたのは、初めての男になって支配したかったのかも知れない。女性に対する俺の固定観念が、潜在的にそうしてしまったのだと思う。もう誰にも触れさせない。もうどこへも行かせない。千那、愛している。心から」

千那はその場に座り込んだ。涙が地面に落ちて両手をつく。

「どうして、お前の事が好きになったかわかるか?」

首を横に振るのが精一杯だった。

「前に、言っただろう? 好きになるのに、理由なんてないんだよ」と言うと、

航平は千那の後ろに回り、身体全体を包み込むように抱きしめた。

「長い間苦しませて悪かった。許してくれ」

信じられない気持ちと嬉しい気持ちが混在して何も答えられない。

「千那、立ってくれ」

航平に言われてようやく立ち上がった。

ここは区役所の駐車場だ。周りの目もあるし、涙を拭いて航平を見た。

「愛している。今日から千那は俺のものだ」

航平は優しく千那にキスをした。

「これからは、何があっても一人で解決しようと思うな。それも、お前の悪い癖だ。一人で生きてきたから仕方ないが、これからは俺が側にいる。わかったか?」

「はい」

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