借金のカタに取られました
殴打事件を起こしてから一週間、航平には会社を休むように言われた。
長い一週間が過ぎて、一旦、海外渉外部に戻ることになったので本社に向かう。
牧田さんが優しく迎えてくれる。
「おはようございます。社内では社長がきちんと説明しておりますので、安心してください。それと、ご結婚おめでとうございます。わたくしは事情を知っておりますので、こちらも安心してください」
「ありがとうございます。ご迷惑お掛けいたしました」と頭を下げた。
航平は仕事に復帰する前日に
「結婚を公にしても良い」と言ってくれたが、千那が拒否した。
航平と結婚していると知られると、昇進や異動についてお膳立てがあったと思われたくなかったし、他人で居る方が仕事をしやすいと思ったからだ。
誰にも知らせなくても、航平と結婚しているということだけで、これ以上、望むものはなかった。
航平は、好きにすればよいと了承してくれた。
数ヶ月ぶりに海外渉外部の部屋に入った。その姿を見て桐谷君が
「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれる。
他の方も、何事もなかったように
「おはようございます」と挨拶してくれた。
どのように航平が説明してくれたかは、どうでもよかった。こうして温かく迎えてくれたということが、全てを物語っている。
異動してからまだ間もないので、仕事はスムーズにこなすことが出来た。
仕事をしながら、ホテルの事も気がかりで仕方がない。
しかし三ヶ月間は、ホテルには姿を見せない方がよいと航平には言われていたので、行くことが出来ず歯がゆい時間が過ぎていった。
そして、やっとホテルのコンシェルジュに戻れる日がやってきた。
桐谷君は、寂しがってくれたが、また同期で食事に行こうと約束して別れた。
海外渉外部での私物を片付けて、ホテルに向かう。
従業員出入り口から入ると、皆が一斉に駆け寄ってきてくれる。
「星田さん。元気でしたか? もう戻ってこられるんですか?」と嬉しい言葉が飛ぶ。
「皆さん、ご迷惑お掛けしまして申し訳ございませんでした」と頭を下げた。
「本当よ! 星田さんが居ないと、大変だったんだからね。お客さんは、星田さんを指名するしさ」ともう一人
のコンシェルジュのスタッフが、拗ねた振りをする。
フロントを見回すと千那が居たときとは季節が変わり、それに合わせて装飾品が少し変化していた。
フロント中央の花瓶を見て
「ごめんなさい。花も生けることが出来なくて」
千那は、フロントの花を生ける係をしており、毎日花屋から届く季節の花を朝に生けておくのが日課になっていた。
「航平さんのお知り合いのカズさんっていう方が、毎朝来て星田さんの代わりに生けてくれていましたよ」
「カズさん……」と呟くと目頭が熱くなり、トイレに駆け込んだ。
カズさんは何も言わず、毎朝やってくれていたのだ。
千那が起きてくる頃には、カズさんは家に必ず来てくれていたので、気づかなかった。
家に来る前にここへ寄って、仕事をしてくれていたのだ。
必死で涙を止めて、フロントに戻る。
すぐに外人のお客さんが色々尋ねてきてくれて、自然に仕事に戻ることが出来た。
しばらくすると、航平がホテルに顔を出した。
「ちゃんとやっているか?」
「はい」と答えると、耳元で
「その制服姿、エロいな」と言って去っていった。
本当は心配して見に来てくれたのに、照れ隠しで茶化してしまう。でも千那にはよくわかっていた。
ホテルの業務が終了し、家に帰りカズさんにお礼を言う。
「カズさん、ホテルの生け花、毎日ありがとうございました」
「いいのよ。好きでやっていたのだから。ホテルでの仕事を思い出して楽しかったわ」とカズさんらしい答えが
返ってくる。
今日、昼休みに買っておいたお礼のプレゼントを渡す。
「そんなことしなくていいのに。開けていいの?」と包みを開ける。
中はカズさんの好きな食器ブランドのお皿だった。
「まぁ、これ私が好きなやつよ。嬉しいわ。ありがとう。千那さん」
と言ってハグをした。
その夜、カズさんは千那が渡したお皿を、航平に自慢して見せている。
その姿は子供のようで、とても可愛らしい。いつも喜んだり、嬉しいという表現がはっきりしていて、カズさんの
笑顔は千那にとっても航平にとっても、癒やされるものだった。
二人とも、あまり表現が豊かでないため、余計に眩しく感じられた。
「また、明日」と胸にお皿を大切そうに抱えてカズさんは帰って行った
静かなリビングで、航平は千那に言った。
「千那、お前は自分には何の才能もないと思っていただろ?」
才能どころか、欠点しかないと思ってきた。
「しかし、お前には語学を習得する能力がある。一つの才能だ。親というのは子供の才能を見つける手助けをしないといけない。色んな物に触れさせて、見せて、感じさせて経験させる。その中で向いている物、好きな物を見いだしてやるんだ。お前は語学を習いだしたら、他の生徒を圧倒する早さで習得していった。今ではフランス語の日常会話も習得しようとしている。きっと幼い頃から習わせていたら、四カ国語、いや五カ国語は話せるようになっていただろう。でも今からでも遅くない。どんどん吸収すればいい。華道だったそうだ。お前の育った環境では、映画も見てないし、美術館にも行っていない。その点から、芸術的センスと情操的なものが欠けている。習い始めの頃のお前の生けた花は、どこか寂しげで、画一的な作品だった。しかし、今、ホテルのフロントの花は、生き生きとして、躍動感さえ感じられる。元々持っている才能は更に伸ばせるし、欠けている部分は後からでも補える。欠けているとは欠点のことだ。知らず知らずのうちにコミュニケーション能力もついているはずだ。今のコンシェルジュの仕事は千那には向いていると思っている。大げさなビジネス的なサービスだけではなく、心の底から何かお手伝いしてあげようという感情がお客さんに伝わっている。ホテルのサービスアンケートでも、お前の名前はいつも良いことばかりが書かれてある。コンシェルジュの星田さんは素晴らしいと。本当にコンシェルジュに戻ってきてくれてありがとう」
いつもの航平とは違い少し焦る。
その様子に気づき
「褒められる事にも慣れていない。それもお前の欠点だ」
千那は幸せに包まれていた。
「なあ、千那。来週から新婚旅行に行こう」
「仕事は?」と心配になって聞く。
「牧田に頼んである。お前のコンシェルジュのシフトは牧田がやってくれる。俺はネットさえ繋がれば、いくら
でも会社に指示が出来るので心配ない。牧田は五カ国語を話せるのを知っているか?」
あの無口な牧田さんが、そんなに話せるなんて意外だった。
「牧田は無口だが有能な社員だ。何でもこなせる。俺の片腕どころか、あいつの方が仕事は出来る。肩書きは秘書となっているが、全ての部署の事を把握している。それに今回、取引先と一つ商談が入っているんだ。それが決まったときに、ついでに新婚旅行に行ってきたらと提案したくれたのが牧田だ」
「どこか行きたいところあるか?」と聞かれたが、たくさんありすぎて答えが出てこない。
「ヨーロッパでもいいか? 俺が四年間過ごしたイギリスも見せたいし」
「航平とだったらどこでもいい」
航平はそっと千那を抱きしめる。
「ねぇ、航平。一つだけ頼みがあるの」
胸に抱きしめていた千那を起こして
「何? 行きたいところがあるのか?」
と優しい眼差しで聞いてくる。
「カズさんと三人で行きたい」
「俺はいいけど、新婚旅行だぞ」と不思議そうな顔をする。
「航平と二人で居るときは幸せです。でもカズさんと三人でいると、もっと幸せです」
航平はにっこり笑って
「お前と結婚して本当に良かったよ」
長い一週間が過ぎて、一旦、海外渉外部に戻ることになったので本社に向かう。
牧田さんが優しく迎えてくれる。
「おはようございます。社内では社長がきちんと説明しておりますので、安心してください。それと、ご結婚おめでとうございます。わたくしは事情を知っておりますので、こちらも安心してください」
「ありがとうございます。ご迷惑お掛けいたしました」と頭を下げた。
航平は仕事に復帰する前日に
「結婚を公にしても良い」と言ってくれたが、千那が拒否した。
航平と結婚していると知られると、昇進や異動についてお膳立てがあったと思われたくなかったし、他人で居る方が仕事をしやすいと思ったからだ。
誰にも知らせなくても、航平と結婚しているということだけで、これ以上、望むものはなかった。
航平は、好きにすればよいと了承してくれた。
数ヶ月ぶりに海外渉外部の部屋に入った。その姿を見て桐谷君が
「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれる。
他の方も、何事もなかったように
「おはようございます」と挨拶してくれた。
どのように航平が説明してくれたかは、どうでもよかった。こうして温かく迎えてくれたということが、全てを物語っている。
異動してからまだ間もないので、仕事はスムーズにこなすことが出来た。
仕事をしながら、ホテルの事も気がかりで仕方がない。
しかし三ヶ月間は、ホテルには姿を見せない方がよいと航平には言われていたので、行くことが出来ず歯がゆい時間が過ぎていった。
そして、やっとホテルのコンシェルジュに戻れる日がやってきた。
桐谷君は、寂しがってくれたが、また同期で食事に行こうと約束して別れた。
海外渉外部での私物を片付けて、ホテルに向かう。
従業員出入り口から入ると、皆が一斉に駆け寄ってきてくれる。
「星田さん。元気でしたか? もう戻ってこられるんですか?」と嬉しい言葉が飛ぶ。
「皆さん、ご迷惑お掛けしまして申し訳ございませんでした」と頭を下げた。
「本当よ! 星田さんが居ないと、大変だったんだからね。お客さんは、星田さんを指名するしさ」ともう一人
のコンシェルジュのスタッフが、拗ねた振りをする。
フロントを見回すと千那が居たときとは季節が変わり、それに合わせて装飾品が少し変化していた。
フロント中央の花瓶を見て
「ごめんなさい。花も生けることが出来なくて」
千那は、フロントの花を生ける係をしており、毎日花屋から届く季節の花を朝に生けておくのが日課になっていた。
「航平さんのお知り合いのカズさんっていう方が、毎朝来て星田さんの代わりに生けてくれていましたよ」
「カズさん……」と呟くと目頭が熱くなり、トイレに駆け込んだ。
カズさんは何も言わず、毎朝やってくれていたのだ。
千那が起きてくる頃には、カズさんは家に必ず来てくれていたので、気づかなかった。
家に来る前にここへ寄って、仕事をしてくれていたのだ。
必死で涙を止めて、フロントに戻る。
すぐに外人のお客さんが色々尋ねてきてくれて、自然に仕事に戻ることが出来た。
しばらくすると、航平がホテルに顔を出した。
「ちゃんとやっているか?」
「はい」と答えると、耳元で
「その制服姿、エロいな」と言って去っていった。
本当は心配して見に来てくれたのに、照れ隠しで茶化してしまう。でも千那にはよくわかっていた。
ホテルの業務が終了し、家に帰りカズさんにお礼を言う。
「カズさん、ホテルの生け花、毎日ありがとうございました」
「いいのよ。好きでやっていたのだから。ホテルでの仕事を思い出して楽しかったわ」とカズさんらしい答えが
返ってくる。
今日、昼休みに買っておいたお礼のプレゼントを渡す。
「そんなことしなくていいのに。開けていいの?」と包みを開ける。
中はカズさんの好きな食器ブランドのお皿だった。
「まぁ、これ私が好きなやつよ。嬉しいわ。ありがとう。千那さん」
と言ってハグをした。
その夜、カズさんは千那が渡したお皿を、航平に自慢して見せている。
その姿は子供のようで、とても可愛らしい。いつも喜んだり、嬉しいという表現がはっきりしていて、カズさんの
笑顔は千那にとっても航平にとっても、癒やされるものだった。
二人とも、あまり表現が豊かでないため、余計に眩しく感じられた。
「また、明日」と胸にお皿を大切そうに抱えてカズさんは帰って行った
静かなリビングで、航平は千那に言った。
「千那、お前は自分には何の才能もないと思っていただろ?」
才能どころか、欠点しかないと思ってきた。
「しかし、お前には語学を習得する能力がある。一つの才能だ。親というのは子供の才能を見つける手助けをしないといけない。色んな物に触れさせて、見せて、感じさせて経験させる。その中で向いている物、好きな物を見いだしてやるんだ。お前は語学を習いだしたら、他の生徒を圧倒する早さで習得していった。今ではフランス語の日常会話も習得しようとしている。きっと幼い頃から習わせていたら、四カ国語、いや五カ国語は話せるようになっていただろう。でも今からでも遅くない。どんどん吸収すればいい。華道だったそうだ。お前の育った環境では、映画も見てないし、美術館にも行っていない。その点から、芸術的センスと情操的なものが欠けている。習い始めの頃のお前の生けた花は、どこか寂しげで、画一的な作品だった。しかし、今、ホテルのフロントの花は、生き生きとして、躍動感さえ感じられる。元々持っている才能は更に伸ばせるし、欠けている部分は後からでも補える。欠けているとは欠点のことだ。知らず知らずのうちにコミュニケーション能力もついているはずだ。今のコンシェルジュの仕事は千那には向いていると思っている。大げさなビジネス的なサービスだけではなく、心の底から何かお手伝いしてあげようという感情がお客さんに伝わっている。ホテルのサービスアンケートでも、お前の名前はいつも良いことばかりが書かれてある。コンシェルジュの星田さんは素晴らしいと。本当にコンシェルジュに戻ってきてくれてありがとう」
いつもの航平とは違い少し焦る。
その様子に気づき
「褒められる事にも慣れていない。それもお前の欠点だ」
千那は幸せに包まれていた。
「なあ、千那。来週から新婚旅行に行こう」
「仕事は?」と心配になって聞く。
「牧田に頼んである。お前のコンシェルジュのシフトは牧田がやってくれる。俺はネットさえ繋がれば、いくら
でも会社に指示が出来るので心配ない。牧田は五カ国語を話せるのを知っているか?」
あの無口な牧田さんが、そんなに話せるなんて意外だった。
「牧田は無口だが有能な社員だ。何でもこなせる。俺の片腕どころか、あいつの方が仕事は出来る。肩書きは秘書となっているが、全ての部署の事を把握している。それに今回、取引先と一つ商談が入っているんだ。それが決まったときに、ついでに新婚旅行に行ってきたらと提案したくれたのが牧田だ」
「どこか行きたいところあるか?」と聞かれたが、たくさんありすぎて答えが出てこない。
「ヨーロッパでもいいか? 俺が四年間過ごしたイギリスも見せたいし」
「航平とだったらどこでもいい」
航平はそっと千那を抱きしめる。
「ねぇ、航平。一つだけ頼みがあるの」
胸に抱きしめていた千那を起こして
「何? 行きたいところがあるのか?」
と優しい眼差しで聞いてくる。
「カズさんと三人で行きたい」
「俺はいいけど、新婚旅行だぞ」と不思議そうな顔をする。
「航平と二人で居るときは幸せです。でもカズさんと三人でいると、もっと幸せです」
航平はにっこり笑って
「お前と結婚して本当に良かったよ」