借金のカタに取られました
翌朝、顔を洗いながら濃厚なキスのことを思い出して赤面する。

(大人ってあんなキスをしているんだ)

鏡越しに航平が

「何、昨日の事思い出してんだよ」

千那は恥ずかしくなり、慌てて洗面所を出て行った。

「ホント、ガキだな」

ぽつりと呟いた。

カズさんは千那に、スクランブルエッグの作り方を教えながら、同時にサラダを作っている。

「あの、カズさん、いつから働いているのですか?」

サラダを盛りつける手をとめることなく答える。

「そうね。航平さんが五歳の時からですのでもう二十五年ですね」

「ということは、航平は三十歳なんですね」と聞くと

「ええ、そうです。立派になられて嬉しい限りです」と母親のように笑った。

そういえば、航平の両親はどうしているのか、兄弟はいるのか、何も知らない。

仕事が貸金業ということしかわからない。

三人で食卓を囲んでいるが、カズさんと航平は楽しそうな会話が弾み、自分は取り残されているような感じがする。出会って数日では仕方ないし、それに事情が事情だし。そんなことを考えていると

「今日は俺の代わりに秘書の牧田が送っていくから。下に車で待っている」とぶっきらぼうに言われる。

(昨日、学校に迎えに来た男か。航平と同じくらい無愛想だったな。気が重い。)

マンションの玄関を出ると、車の横に牧田が立っていて千那を見つけるとドアを開けてくれる。

「おはようございます」感情のベクトルを無理矢理方向転換させて明るく言う。

「おはようございます」とこれ以上ない無機質な返事が返ってきた。

ロボットか! と内心思いながら車に乗り込む。

車内は無言のまま、車に乗り込んだ状態と寸分変わらず学校の門に着いた。

「いってらっしゃいませ」相変わらずのロボット口調。

「い・っ・て・き・ま・す」とロボットの口調を真似て校舎に走り去った。

教室に入り真子を見つけて声を掛ける。

「おはよう」

「あ、千那おはよう。ちょっと、また男と通学? それに昨日と違う男なんだけど」

見られていたようだ。

何て言い訳しようか、本当の事を言おうかと頭の中を巡らせている間に

「何かあるんでしょ? 白状しないさいよ。もう親戚という言い訳は通用しないからね」と詰め寄られる。

仕方なく真子には本当の事を話すことにした。

「結婚!?」と大きな声が響き渡る。

「ちょっと、声がでかいよ!」

「あ、ごめん。驚いちゃって」

無理もない。

真子は小さい頃から唯一仲良くしてくれた友達で、友達というより同い年だが、頼れるお姉ちゃんのように、後ろ
をくっついて過ごしてきた。

家が近所だったし、真子の母親も千那にはいつも気を遣ってくれて、会えば声を掛けてくれた。

高校も、真子が選んだところに付いてきたといっても過言ではない。

引っ込み思案の千那には、真子がいつも眩しく憧れる存在で何でも真子に相談してきた。

「でも千那、健(けん)の事好きなんでしょ?」と痛いところをつかれる。

健はクラスメイトで爽やかで優しく女子に人気があり、千那も日頃から

「健の彼女になりたい」と真子に口癖のように言っていた。

言っていたけど実際はそんな大それた事は思っていないし、人気者が私のような地味なタイプを選ぶはずがないと確信していた。

好きな気持ちは本当だったが、その先どうしようと言うことは、一ミリも考えたことがなかった。

「そ、それより、もしかして……」

長い付き合いだ。すぐに真子が言いたいことはわかる。

「いえ、まだ。高校を卒業するまでは……。だって」と答える。

「ふーん。変わった人だね」

これで変わった人と言われては、まさか教育されているなんて、とても言えない。

真子には高校一年の時から彼氏が居て経験もある。

しかし、奥手の千那はそういう話については苦手で詳しく聞いたことがなかった。

「しかし、千那に先を越されるとはね。十八で結婚か。羨ましい」と天に向かって大げさに言う。

「え? 羨ましい? どうして」

「だって、お金持ちでイケメンなんでしょ? 安泰じゃない。私、働きたくないもん。いい男もいないしさ。彼
氏なんて大学に進学するから最低四年は結婚しないしさ」

真子らしい考えだけど、見ず知らずの人といきなり結婚させられる私の身にもなってほしい。

何より、まともな付き合いもしたことないのに。

彼氏はいたことはあったけど、それこそままごとの延長のようなものでキスしか経験がない。

こんなことなら思い切ってどんどん彼氏を作っておくんだったと思ったが、例え戻れたとしても、そんな事が出来
ないのは自分が一番よく知っている。

昼休み、真子に誘われて学食でご飯を食べる。

学食といっても、昨日から、カズさんがお弁当を持たせてくれるので、千那はお弁当持参で、真子に着いてきた。

今まで、千那は一度も学校にお弁当を持ってきたことがなかった。

いつも学食のカレーやうどん、パンを食べていた。学食なので二百円前後で食べられるので有り難い。

両親は朝から晩までギャンブルに興じていて、母親は家事を全くせず、コンビニで買った総菜やお弁当ばかりが食卓に並んでいた。

並んでいるならまだマシな方で、大抵、朝起きると机の上に小銭が置いてあった。

一番多かったのは、パチンコの景品のお菓子やカップラーメンだった。それは自分で何とかしなさいという意味で、その通り何とかしていた。

お菓子も全て食べてしまっては、次の日にお金を置いておいてくれるかどうかもわからないので、少しずつ食べて残しておいたりした。

長年で培った智恵を駆使し、今まで生き延びてきたのだ。

中学生の頃に自分で料理をしようと思ったこともあったが、ガスがよく止まっていたので諦めた。

電気や水道は止まると両親もすぐに復旧する為にお金を払っているようだったが、ガスは必要性がないと判断するのか、いつも優先順位は最後だった。

それに食材を買うお金もなく、まともに調味料も揃っておらず、料理をする必要性も感じなかったので避けてきたのだ。

部屋は常に散らかった状態で友達を家に呼んだことはなく、自分で掃除する気も失せていた。

真子は小さい頃から近所に住んでいるので母親の事もよく知っていて、不憫に思って家での夕食に誘ってくれたりした。誘っていたのは真子ではなく、真子の母親ということは千那もわかっていた。

真子の家の食卓は色とりどりの料理がテーブルに並べられており、見ているだけで幸せな気分になったし、楽しい会話も千那にとっては羨ましかった。

有る年齢から家の事は諦め、自分が家庭を持つようになったら真子のような家庭を作ろうと夢を描いてきた。
だから早く家を出て結婚したかったし、理想の家庭を築くのが目標だった。

真子に言われたとおり早くに結婚できるという夢は実現したけど、ちゃんと恋愛して結婚したかったのが本音だった。

高校生になってアルバイトが出来る年齢になったが、引っ込み思案で人見知りが激しい千那にとっては、敷居の高いものだった。

しかし、真子が誘ってくれるアルバイトには喜んで出掛けた。

真子はお小遣いももらっており、お金のためではなく思いで作りにバイトに行くタイプだった。

その為、通常の学校の時はバイトせず、夏休みや冬休みの間に数日間働けるアルバイトばかりしていた。

お中元やお歳暮の商品を仕分けする作業や、プールの清掃など、短時間で数日のものばかりだった。

今から考えると、働く必要はないが千那の事を思ってアルバイトに誘ってくれていたのかも知れないと気づき、真子には感謝していた。

そのお陰で、修学旅行費も払えたのだ。

携帯電話と修学旅行費と、どちらを払うか最後まで悩んだが、旅行というものに一度行きたかったし、携帯電話は必要性が感じられず、修学旅行を選んだ。

それまでは携帯電話を持っていないことで、仲間はずれにされたりして悔しい思いをしたが、連絡をとるのは真子
だけなので、自分の中で切り捨てた。


中学生になって初めて自分は 「ネグレクト」されていたと気づいた。

そんな言葉も知らなかったし、幼い自分には母親とは絶対的なもので、他の家庭と比べることもなかったので疑問にも思わなかったが、大きくなるにつれて疑念を抱くようになっていった。

それに小学生に入学するまでは、何度も児童養護施設に保護されたことがあったと、後から知った。

一旦、保護されても、両親が連れ帰り、健康上も問題がないため、それが許可された。

小学生の頃は毎日お風呂に入ることもなかったし、同じ服を何日も来て学校へ行き、それをからかわれるようになった。

遠足や運動会でもお弁当はなく、担任の先生が作ってきてくれたお弁当を食べていた。

担任が変わる度に先生は、両親に連絡を取り付けようと電話をしたり、家庭訪問をしたが、連絡が付かなくて諦めてしまう繰り返しだった。

学校行事に参加する事もなく、近所の人がパチンコ屋で両親を見かけて

「今日、千那ちゃんの運動会の日だよ」と声を掛けてくれたらしいが、それでも一度も来ることはなかった。

何度か児童養護施設に学校が連絡し、そこの職員らしき人に色々質問をされたが、千那の応えを聞くとそれ以上何も言わなかった。

「お母さんやお父さんに叩かれたりしていないの?」

「夕ご飯は食べているの?」

と同じ事ばかり聞かれたが、叩かれたことはなかったし、夕ご飯は自分で調達していたので、その為いつも

「叩かれていない」

「食べている」と言えばそれ以上の対応はされなかった。

コンビニの店員さんはおにぎりを買うと、こっそりお菓子を袋に入れてくれたり、ジュースを入れてくれたりした。

その店員さんにも

「叩かれていない?」と同じ質問をされて、不思議に感じていた。

学食で真子に航平の事を色々聞かれたが、わかっているのは名前と年齢と貸金業という事だけで、何も知らなかったので答えることが出来なかった。

心配してくれているので、それに答えようとするのだが、自分が置かれている状況がうまく説明できず、歯がゆい気持ちになった。

今日は思い切って聞いてみようと胸に誓った。
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