まいにち、しののめ。
10月11日(火)BOOM BOOM SATELLITES

BOOM BOOM SATELLITES(ブンブンサテライツ)のボーカル、川島 道行さんが死去。あぁ…。彼らのファンでなくても多くの音楽ファン、特にロックファンはこの日が訪れるのを予期していたと思います。脳腫瘍との闘病生活を送りながら、素晴らしい作品を世に出しているのを知っていたから。
彼らの最後のアルバム『LAY YOUR HANDS ON ME』は名盤です。スケールが大き過ぎて圧倒されます。終わりを知っていてなお、いや知っていたから、2人の魂を込めて世に出された最後の4曲。川島さんや中野さんはそんな背景を考えて楽曲を聴いて欲しくはないのかもしれないけど、でも、それが無ければこの音は生まれなかったと思う。川島さんの病状を逐一確認しながらのレコーディングだったとインタビューにもあったし。

暗い話題でごめんなさい。彼らを知らない、興味がない方は困ってしまいますよね、こういう内容。でも、きょうはどうしてもBOOM BOOM SATELLITESに触れたかった。なぜなら、この日記のコンセプトとしてわたしが先日掲げていた『週刊誌のように読み捨てて』というのは、実はBOOM BOOM SATELLITESの中野雅之さんがローリングストーン日本版 2015年3月号のインタビューでおっしゃっていた言葉の引用なんです。
「すべての音楽が、芸術であるべきだと思うか?」という質問に対して「僕は週刊誌のように読み捨てられる音楽が悪いとは思わない。流行りの音楽のように簡単に消費されてすぐに消えていくものもあった方が良い。それらは即時性があるからこそ大衆にフィットして喜ばせることが出来る。でもそうじゃない(丁寧に、丹念に作られた音楽)ものも無いと、世界は簡単なものだけ、楽しいだけのもので溢れてしまう。自分は選択して、そういう(簡単に消費されない)音楽を創っていきたい。出来れば、千年続くようなものを。」

っていうような内容です。わたしの脳内翻訳でお届けしています。(詳細について正しくはウェブ上にログがあるはずなのでそちらをご参照ください。)

3月の谷澤くんライブの後「音楽における芸術性って、質って、価値って、評価って、何だろう…」とモヤモヤしていたところにこのインタビュー記事を読んだので、私としては当意即妙って言うのでしょうか。膝を叩きまくる感じでした。中野さん!それ!それだよ!って。しかも中野さんたちBOOM BOOM SATELLITESの音楽がどれだけ圧倒的に(世界レベルで認められているほど)「すげー」ものか実際に聴いて体感していたから、余計に響きました。こんなにすごい音楽を創る人達なのに、価値観を一つに固定しないんだ、って。

だから「週刊誌のように読み捨てられる音楽(=創作物)にも価値がある」っていう中野さんの言葉が頭にこびりついて離れなかったのです。そこから、音楽に限らず世で消費されていく様々な商品(主には芸術分野の)について「それを必要としている人の層ってどの辺なんだろう?」とか。「そのニーズはどんなシチュエーションで生まれるのか?」「人と創作物の向き合い方は?」(→ここから定食屋のマンガに繋がる)っていうことを考えるようになった。誰が、いつ、どこで、どんな風に、何を、消費するのかっていう… (なんだなんだ、英作文か)

これが食べ物や洋服などの商品の場合はマーケティングの基本でしょ、ってすんなり受け入れられるけど、芸術性も要求されるような商品(創作物)となると途端に「あざといな…」とか「大衆ウケ狙いやがって…」とマイナス評価をされてしまいがち。うん、わたしもしちゃう。しちゃってた。(はい、上から目線で御免なさい。)それも「商品」には変わりないのに。お金を稼いでくることを使命としてる品、なのにね。それが売れている以上は、その価値を理解出来ない(購買対象でない)私がやいのやいの言うなって話ですよ。同じ土俵に立って勝負してる人が言うなら良いけど。

そう、けれども、中野さんが、どっちもあっていい、あった方が良い、って新しい価値観をくれたんです。一定方向しか見えていなくて、凝り固まっていた目の前の世界が急に開いた感じがしました。BOOM BOOM SATELLITESの音楽と共に。

ボーカルの川島さんがいつ歌えなくなるか分からない、そんな緊張感の中で楽曲制作やアーティスト活動に当たっていた中野さん。私には想像もつかない精神状態の中で紡ぎ出された言葉と音たちだから、やっぱり簡単には消費出来ない。

『LAY YOUR HANDS ON ME』
今日はずっとこれを聴いています。
川島さんの魂が天国で安らかでありますように。
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