まいにち、しののめ。
10月14日(金)ノーベル文学賞
10月14日。きょうは、仲良し作家さんと、うちの弟(リアル弟)の誕生日です(笑)!おめでとう(ございます)!★彡

弟に今朝おめでとうメールをしたところ「色々バタバタしましたが、私は元気です(´・ω・`)。」と返事が来ました。…こーゆー文章を(『魔女の宅急便』キャッチコピーのパクり)送ってくるあたり、わたしの弟だわ。普段全然似ていないんだけれども。ほのかに香るオタク臭が。しかもネタが古いっていう所までね)



ノーベル文学賞、今年はボブ・ディラン氏に決まりましたね。ミュージシャンとして初の受賞ということで各界ザワザワしていますが(それありなの!?って。笑)。歌詞も詩であり文学である、っていう選考委員側の主張は私としてはおおむね嬉しいことです。方向性は全然違うけれども、私が堀込高樹さんを愛する理由のひとつは歌詞の文学性にあるので。歌詞は文学だ!って、権威のあるところが声高に叫んでくれたようで嬉しい。ただし歌詞の場合は音や楽器によるリズムの制約を受けるから純粋な「文字だけの芸術」かと問われれば、私の答えはノーですが。良いんじゃない、そんな厳密でなくても。

ボブ・ディランにノーベル文学賞。文学性の高い歌詞もさることながら、世界を変えるとか、強権的な体制に逆らうとか、そういう力を持つ作品を発表してきた、っていうところに受賞理由があるのでしょう。基準はあくまでノーベル賞の中の文学賞として相応しいかどうか、「広く人類に貢献した人物に贈る」っていうそもそもの理念にそぐうかどうかも大事なんじゃないですかね。ただの文学賞じゃないもん。ノーベル・文学賞だもん。

そんで、今回ボブ・ディランという「ミュージシャン」に初めて文学賞を贈ることで、ノーベル文学賞の可能性というか、「こーゆーのも、有りってことで!」って、新しい方向性を示したことになりますよね、選考委員側も。そうやって賞の性格もどんどん変わって行くんだなー。

ああ、あと、一番大事なこと。存命の人物にしか与えられないそうですから、村上春樹さんも「ぼくもうすぐ死にそうです…」的な事を発表すればもらえるんじゃないのかしら。冗談半分でこんなこと言って、気分を害された方がいたらごめんなさいね。

まぁ、万が一そんな状況になっても本人は(その為には)言わないだろうし、この時期が来る度、うるさいなぁもう良い加減にしてくださいよそんなの望んでいません、って思ってると思うけれども。

商業的に見ると、この10年ほど、秋の風物詩のように「今年は受賞なるか!?」とメディアに取り上げられ、かつ受賞を「逃し続けて」いる事で、かなりの広告効果を得ていると思われます。かーなーりー、下馬評効果で売れてますよ。わたしが10年前、村上春樹を読み直してみようかなと思ったのもそれがキッカケだったし。『ノルウェイの森』ブームの時に読んで「ダメだ、合わん、わからん。」って思った人達(わたしもそう)の中で、この再ブームで手に取った人は絶対に沢山いる。

迷惑しているのは、ご本人だけかもね。
(僻むのが仕事の人たちとね)



村上春樹の、物事の捉え方が好きです。人生や世界の成り立ちの真理を突くような文章が作品に出て来るので、それを楽しみに読んでいます。おお!そ、それだ…!という衝撃を。

物語の「展開」を主として楽しめ…た…のは…(そんなのあったっけ?とかんがえている)…1Q84だけかなー。。田崎つくるもかな。どちらも読み味軽いから。二度は読まない。そもそも、めくるめくような展開を楽しむ類の話じゃないし。
そんなに沢山読んでないけど、わたしは村上作品なら海辺のカフカが好きです。読み返したのはこれだけ。(思春期に読みたかったなーと思います)

あ、音楽に関するエッセイも好き。

村上春樹。彼の作品には苦手な部分も沢山あるけれども、それは書きません(笑)。べつに批判したい訳じゃないし、基本的には好きなので。ただね、たまにもう誤魔化しようのないほど下半身に関して直接的な表現をされるのでね…←言ってるやないかーい

きょうも好きなだけ喋ってしまいました。
毎日、(こんなダラダラした日記に)お付き合いいただき、恐縮です。ありがとうございます。

この場所があって、付き合ってくれる人がいて、なんだか救われてます。ありがとう。

それでは、また、あした。

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