まいにち、しののめ。
10月18日(火)スピカ
先日カラオケでスピッツの『スピカ』を歌っていてハッとさせられたのでそれについてちょっと喋らせてください。

「優しさに飢えた 優しげな時代で」

マサムネ君(ボーカルの草野正宗)の歌詞にこんなに「おお…っ!」となったのはこれが初めてです。あの方、作るメロディと声だけでもう切なさ100パーセントだから(笑)そこまで深く考えて聴いたことがなかった。パッと聴きで「良い!」ってなっちゃうミュージシャンって得なのか損なのかわかんないね。

そう。時代は優しさに飢えている。
一見、優しげに見えるのに。

表面上は、他人を傷つけないように、と注意に注意を重ねて出て来た優しげな言葉たちに覆われているけれど、それは「優しげ」なだけで、本当に優しい言葉じゃない。なんなら怯えて、憚っているだけ。

そうしなければならない状況が悲しいなって思います。個人個人が自分の弱さや至らなさを知った上で強く立っているなら、他人にも寛容になれるはずなのに。

世が不寛容だから、誰かが何かを発信するときは「他人を傷つけないように」の気遣いが、いつの間にか「自分が攻撃されないように」「足元をすくわれないように」にすり替わってしまうんですよ。発言だけじゃない。行動までも、一挙一動すべて。なんでこんなに窮屈なんだ?

前にも東京五輪のエンブレム問題で言及したことがありますが、ここ最近のやたらと他者をこき下ろす社会風潮が、わたし、嫌なんです。他人の失敗を絶対に許さないっていうあの雰囲気。

ネットニュースを読んでいると下の方にコメント欄が出てくるでしょ。あれ、匿名(じゃない場合もあるけど)だから排他的、攻撃的なコメントが多いし、そういうものが支持されて上の方に上がって来ますよね。(イイネをつける方も匿名だから)そんで、アレを堂々と表示しちゃうサイト側の姿勢もどうかなぁと思います。

パブリック(公的)な場に「私的」なコメントを垂れ流してる状態だからおかしな事になっちゃうんですよね。誰もが見ることができるネットの世界はもはや閉じられたものではなくて、公の場と言って良いんです。世界中に聞こえるでっかいスピーカーで喋ってるようなものです。
普通は、公の場でモノを言うならある程度のリテラシーが求められる、はず。そのことを踏まえないで発言することはできない、はず。

なのに、本来なら友達同士で叩き合うような軽口や心の中でひっそり呟く罵詈雑言がなんのフィルターもかからずそのままパッと公的な場に吐き出されてしまう。それが可能なシステムになってしまっている。

お陰で、何が起きているかというと。

出る杭は
どんな種類の杭でも
とりあえず打たれる現象

が、起きているのです。
名も明かさない人たちの手によって。

国会前のデモも、不倫した芸能人も、娘の移植手術のための募金を求める両親も、ぜーんぶ。

そんな風潮なので、俳優は「◯◯に出演させていただきまして…」作家は「◯◯を出版させていただきまして…」料理研究家は「おうちで出来る簡単ホイコーローを、作らせていただきました!」…ねぇ、みんな誰に憚ってるの??誰かに許可をもらって仕事してるの?っていう可哀想な「させていただく」オンパレードに。

わかるよ。叩かれる材料はこちらから与えたくないもんね。こっちは名前も顔も出してるわけだし。何されるかわからんないもんね。

名前も顔も出してる人たちが、名前も顔も出さない人たちに遠慮してる。おかしくない?ねぇこれ、ほんとおかしいよ。

これって、名も無い人たちによる、言葉にすらなっていない、空気の暴力だよね。怖いなぁ、ほんとに怖いなぁ、って思う。


優しげな言葉たちが
気遣うための言葉たちが

いつの間にか
自分を萎縮させる
自由な物言いを制限する言葉に変わってしまう


優しさに飢えた 優しげな時代。


だけど、私の周りは適切な優しさを示してくれる大人が沢山いる。間違えたら、そのミスを攻撃するのではなく、そぉっと教えてくれる。そのことにまずは感謝したいなと思います。こうして日々の雑談に付き合ってくれる、皆さんにも。

今日も来てくれて、ありがとうございます。
また、明日。
< 19 / 32 >

この作品をシェア

pagetop