まいにち、しののめ。
どんより。ざあざあ。

太陽は厚い雲の向こう。景色は朝から灰色に埋もれている。草の緑も、枯葉の茶色も、花の赤も水の色もすべてが暗い。

こんな日は五島の青を思い出します。
目が痛いくらいの、鮮烈な空の青。
底まで見通せる、透明な海の青。

長崎県、五島列島。
ちょうど一年前に訪れました。
主には世界遺産登録を目指して保存、整備が進められている教会遺産群を巡る旅として。

五島つばき空港に小さなプロペラ機で着いた瞬間から強烈な日光に照らされて、あぁ、ここは南の島なんだと痛感しました。目に映るものすべての色が、濃い。濃くて、鮮やか。

国内に限らず、わたしは旅をするといつも、色を意識してしまいます。土地が違うと、色も違うから。
まず、緯度の違い。太陽光線の強さで、景色の色味はぐんと変わる。南は原色で、鮮やか。北はそれに白が入る。淡い。ぼんやり。
それから、土地の成り立ち。同じ砂浜でも火山島は砂の色が黒く、海岸もゴツゴツしている。五島はまさにそれで、島が形成された足跡みたいなものがそこかしこに感じられてとても良かった。

建築や料理などの人工物には、その土地の歴史も色濃く反映される。

木造の素朴な教会建築を見てただ「手彫りの装飾が可愛いねぇ」と心和ませるのも良いけれど、「なぜそれがその形でここにあるのか」を知ると見方は変わってきます。
何事もそうだけど、完成形そのもの、だけではなく「来し方」を知るとより深くそれを理解できる気がする。し、ほんとうはその「なぜ」を考えたり、思いを馳せたりすることが大事なんじゃないかと思う。

五島の島々は海底火山が盛り上がって出来た島なので、基本的に平地がなく海から視線を上げるとすぐに山だ。山頂部分が海の上にポコン、ポコン、と顔を出してるだけの状態。だから、人の住む集落は港周辺の狭い範囲だけ。集落から集落へ渡るには山を越えねばならず、同じ島内であっても海側から船で訪ねた方が早い。

そんな島々の中で、集落ごとに小さな木造の教会が建っているんです。
時には、集落を外れた山頂近くに、突然石造りの立派な教会堂が現れる。とても不思議な光景でした。人も住まなさそうなところに(訪ねるのも一苦労)、そして集落ごとに、どうしてこんなにちまちま沢山?と。

それを理解するには、日本へのキリスト教伝来から弾圧に至るまでの歴史を知る必要がありました。正確には、弾圧が始まってから土地を追われ、住む場所を転々とせざるを得なかったキリシタン達の歴史を。

詳しくは他に書かれたものが沢山あるので割愛しますが(間違いがあるといけないし)、幕府の弾圧により本土に居られなくなったキリシタン達が西へ西へと移動していって、最後に流れ着いた場所が、五島列島だったんですね。何千人とやってきたそうです。最初は、単純に労働人口が増えて島が潤うという理由で歓迎ムードだった領主も、時流に合わせて次第に取り締まりを厳しくしていきました。

キリシタン達は、島内でも住みやすい港周辺には居られず、隠れて、逃れて、誰も入ってこられないような山頂近くの崖下、森の中に密かに教会を作ってそこを守りながら密かに生きた。
他、集落ごとに小さな教会があるのも、隠れ住んだのが辺鄙な場所過ぎて、隣の集落へ行けるような道が無かったからだそうだ。教会内部の装飾が素朴なのは、大工でもない農民、漁師の信徒たちが自分たちの手で彫ったから。

そんな歴史を島のガイドさんから聞きながら20ヶ所以上の教会を訪ねました。建築そのものは宮大工が担ったそうで、なるほど西洋の建築物を当時の日本の技術で建てようとするとこうなるのか、と腑に落ちる。

美しくて荒々しい自然の中に点在する、隠れキリシタンの痕跡。五島列島はそこを照らす強烈な太陽光線と同じように、強烈な個性を持った島でした。暑くて、鮮やかで、どこか悲しい。

余談ですが食べ物も美味しかった。
特に魚が。ハコ型のフグやサツマイモ団子、アゴ出汁の五島うどん。
土地が食べ物を生み、食べ物が人を育て、人はその土地の特色がどこかに入ったものを創造する。

すべては、その土地が生む。
何事につけ、わたしのベースになっている言葉です。いつでもどこでも、これはどうしてこの色でこの佇まいなのか、なんてことを考えてしまいます。そして一応の理解を得られると、とても楽しいです。

五島列島、忘れないうちに探訪記でも書きたい、な。。。←言いつつ多分ヘタレて書かない
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