イジワル御曹司に愛されています
「久芳さん、俺の荷物って…」

「部屋の前に捨ててあると彼らがご丁寧に教えてくれましたので、拾ってきましたよ」


言いながら左手で助手席を指す。フロントガラスの向こうには、夜の首都高のオレンジ色のライトがきらめいている。


「腕時計もある?」

「ありますよ」


前を見ながら手で隣席を探り、こちらに渡してくれた。震える手で受け取って、なんとか左手首につける。びっくりするほど重く感じる。


「ですが、これでわかりましたよ、どうして怜二たちがここ最近、慌ただしかったのか」

「傀儡状態のお偉いさんがひとり、辞めるとか言い出したらそりゃ、焦るよね」


だがその慌ただしさの間隙を縫って、名央は会社に潜り込めることになったのだ。幸運といえば幸運だった。

会社に入ってしまえばこちらのものだ。これまで息を潜めて、怜二の言うなりに動くしかなかった人たちを奮起させ、戦うことができる。

同じフィールドにいれば、いつでも怜二の喉首に手が届く。

黒い文字盤を、24時間計のメモリが囲む時計を眺めた。これを贈ってくれたときにはもう、実の甥と敵対する意思を固めていたのだろうか。

抱えたひざに額をつけた。

疲れた。

取締役の騒動が始まるより少し前から、怜二一派は浮足立っている。陽一の容態がいよいよ怪しくなってきたからだ。

やることが大味になり、こちらも穴を見つけやすくなった。

お互い、機が熟したのを感じている。怜二は陽一を追い落とすための、名央は怜二を追い込むための。

だが、それがどうした。名央の心中は冷えていた。

チャンス、好機。二度はない潮時。

だからなんだ。

涙が出てきた。

──そんなことがしたかったわけじゃないのに。

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