イジワル御曹司に愛されています
逃げたいけれど、どうしたらいいかわからない。お手洗いとか言って失礼しようか…でもあからさまなことをして、先生の気を悪くしたらどうしよう。

気持ち悪い、怖い、でも変なこともしたくない。

声をあげる気配もないと察したんだろう、手がいよいよ大胆になって、私は思わず、隣にある袖をつかんだ。都筑くんの袖。

彼が驚いたようにこちらを見たのがわかる。私は首を動かせず、どことも言えない、談笑の声が落ちるあたりを見つめたまま。

ぎゅっと握りしめた袖は、すぐにさりげなく振りほどかれた。


「あ…」


恥ずかしさに襲われてうつむく。なにを期待していたの。まだ図に乗っていたの? 都筑くんなら助けてくれるとか。

厚かましい奴と思われた。

情けなくて消えたくなり、涙ぐんだとき、持っていたカクテルのグラスがすっと取り上げられた。右側から伸びてきた手。都筑くんだ。

そちらを見上げると、ほんの一瞬、そうとわからないくらいの目配せをもらう。えっ、と思った瞬間、膝の裏にものすごい衝撃が来て、私は足から崩れ落ちた。

「あっ、大丈夫ですか!」というのは、都筑くんの声。

え、え、え?

背中をしっかり抱き留めてもらったおかげで、尻もちこそ免れたものの、バランスを崩して座り込んだ私を腕に抱え、都筑くんが心配そうにのぞき込んでいる。


「飲みすぎました? 休める場所探しましょうか」

「あっ…え、私…?」

「大丈夫かね、千野さん」


渡瀬さんの声にぎくっとしたものの、彼の姿を見て目を見張った。顔からシャツの前にかけて、びしょ濡れだ。ピンクオレンジという色からして、お酒…というか、私の飲んでいたカクテルで。

都筑くんがうろたえた声を出す。


「渡瀬先生、とんでもないことを、失礼しました」

「いやいや、非常事態だもの、気にしないで」

「クリーニング費用の件で、後日、必ずご連絡させていただきます」

「いいって…いや、そう? 悪いね」


まんざらでもなさそうな先生を置いておいて、「歩けますか」と私に声をかけると、都筑くんは私を支えたまま立ち上がった。


「お騒がせして申し訳ありません、失礼します」

「あっ、うんうん、気をつけてね」


後ろめたいからか、追い払うように私たちを帰らせ、先生はさっと消えてしまう。それを見送りもせず、都筑くんは私を片腕に抱いて、フロアを横切った。

本当に"抱いて"という状態なのが参る。背中に腕を回して、脇を支えて、なにかからかばうみたいにぎゅっと抱き寄せて。
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