イジワル御曹司に愛されています
──思い出した。

目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのかわからなかった。逸る鼓動に急かされるように意識が浮上して、ブランケットを握りしめて天井を見上げている自分に気づく。身体はまだ覚醒していないらしく、動かない。

少しだけ上げてあるシェードの裾から、朝の光が差し込んでいる。

思い出した。

その日の朝は、コーヒー豆はキャニスターごとひっくり返すわ、時計を読み間違えていつもの電車を逃すわ、車中でふいに立ち寄り先があるのを思い出し、今から行っても間に合わないと青くなり、それは今日じゃなく来週の予定であると気づいて我に返るまで生きた心地がしなかったり、さんざんだった。


「なんだよ?」


会うなり都筑くんが、不審そうに顔をしかめる。

ごめんね、ごめんね、ごめんね…。胸の内で唱え続けていたのが、表にも出ていたのかもしれない。ごめんなさい、本当に。あんな失礼なこと、どうして言えたんだろう。

まあ、どうしてかというと、積み上がったストレスが、卒業式という終了の儀式に引っ張られる形で爆発したからなんだけれど。

倉上さんもいる手前、その件は横に置いておかないと。


「どうしたんですか、千野さん」

「こいつ、頭の中で別の場所行ってるときあるからさあ。そう感じたら呼び戻してやって」

「あ、行っちゃいがちな方ですか、おーい」

「もう帰ってきてます」

「やっぱりどこか行ってたんだな」


行っていました…。

倉上さんが、会議机の上でとんとんと書類を整えながら笑う。


「千野さん、今度はどこか外でお打ち合わせしませんか。そのほうがくだけたお話もできそうですし」


都筑くんと同じようなことを言っている。


「ぜひ」

「やった。じゃあ都筑のいないときを狙って」

「おい」


都筑くんが行儀悪く脚を上げ、倉上さんの椅子を蹴った。それから取引先の椅子であることを思い出したらしく、「あ、失礼」と靴底の当たった場所を手で払う。


「僕も入れてってかわいく言えば、仲間に入れてやるよ?」

「千野の前だからって調子乗ってんじゃねえぞ」

「女性の前で乗らずして、どこで調子乗るんだよ〜」

「早く打ち合わせ始めろよ!」
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