牡丹町の先生
うちは、ごくごく普通の家族だった。
気は強いけど思いやりのあって料理上手なお母さんと、
優しくて穏やかでいつもニコニコしてるお父さんと、
一人っ子だったせいもあって泣き虫で甘えん坊だった私。
平凡で暖かい大好きな両親だった。
でも
私が5歳の時、お母さんが事故で亡くなった。
その時のことはハッキリと覚えていないけど、
"お母さんが居なくなった"というのはちゃんと分かっていて
悲しくて、悲しくて、苦しくて、熱を出すほど泣き叫んだのは覚えてる。
いつもニコニコしてるお父さんは、私を宥めるのに必死だったのか、病院でお母さんに会っても家に帰っても、泣くことは無くて
でも、お葬式の日に泣き喚く私の手を痛いほど握りながら
煙が登っていく空をジッと見つめて静かに涙を流していたのを私は知っていた。
「紬、今日からお父さんと2人で生きてくれるかい?」
そう言って私に笑いかけるお父さんの笑顔が、いつも通り優しくて、私はウンウンと頷きながらお父さんの手を握り返した。
本当はお父さんも悲しくて、苦しくて、悔しくて、泣き叫びたくて堪らないのに、
きっと私が居るから我慢しているんだと、無理して笑っているんだと、そう思った。
今日で泣くのはおしまいにするから、
明日からお父さんと2人で頑張るから、
今日だけは。
そう心に決めてその日は涙が空っぽになるまで泣いていた。