例えば危ない橋だったとして

約10分後、黒澤くんにマイクが渡された。
わたしは自分の手元に回って来たデンモクから、黒澤くんへと目線を移した。

黒澤くんが歌い始める。
……上手い……! 無意識に驚嘆の溜息が漏れた。
音程を外すこともなく、なめらかに歌う黒澤くんに、またしても心を射抜かれてしまった。
完璧星人め……高揚しながらも睨みを利かせて、謎の抵抗を試みた。

わたしの順番が回って来た際には、動揺して音程を外してしまい、落ち込む。
再び黒澤くんの番となり、その歌声に酔いしれた後、ひっそりとお手洗いに立った。

廊下を歩き冷たい空気に触れると、幾ばくか酔いが醒めたようだ。
居酒屋を後にした当たりから、完全におかしなテンションだった……黒澤くんに気付かれてしまっただろうか。
また変な奴だと思われてしまう。
頭を痛めつつトイレのドアを開けると、鏡越しに自分と目が合った。

足を止め、しばし立ち尽くす。

「……黒澤くん……ごめんね」

どういうわけか、鏡の中の自分を見つめながら、ひとりごちていた。
頭が冴えて来ると、急速に気持ちが落ちて行く。
あぁそうか、これは現実逃避か。
お酒に逃げて、目を逸らそうとしても、無意味だということは知っている。


恋をした時から、もがいてもがいて、越えなければ、一緒に居ても幸せになんてなれなかったんだ。


鏡の中のわたしが涙を堪えている。
本当に馬鹿……気付くのが遅過ぎる。

肩を落とし大きく息を吐き出しながら、廊下へと戻った。
部屋に向かって進み、角を曲がると人とぶつかった。

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