例えば危ない橋だったとして

昼休み終了間際に黒澤くんが戻って来た。
わたしはそっと彼を盗み見て、ぎょっとした。

スーツの背中が僅かによれている。
自分のせいであることは百も承知していたが、皆の視線をすり抜けられることを願った。

裾はやや白く汚れていて、黒澤くんの身なりなど気に留めていない男性陣はともかく、黒澤くんの虜となっている女性陣には怪しまれてしまうかもしれない。
そう考え始めると、後ろの列や隣の部署の女性社員の視線が自分に送られて来ているような錯覚に陥る。
わたし達の間に何があったかなんて、知る由もないはずだが、妄想なのか事実なのか、判別がつかない。


午後は正直うわの空で、あまり仕事にならなかった。
極力黒澤くんと関わりませんよう、との願いが届いたのか、最低限の会話で済み、家路に着くことが出来た。


「一千果がご飯残すなんて、風邪でも引いたの?」

お母さんが物珍しい顔で、皿に残った料理とわたしの顔とを、まじまじと交互に眺めた。

そして、禁句を平然と口にするものだから、無視した。

「淳(あつし)くんと付き合ってた時以来かしらねぇ。一千果、もしかしてまた恋わずらい……あら?」

階段を登りながらもお母さんの戯言が耳に入って来たが、シャットアウトして部屋に入った。

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