マザコン彼氏の事情
「すみません。送ってもらって」
「いや、いいんだ」
「重見さんの家、遠いんでしょ?」
「知ってるの?」
「ええまあ」
「誰が教えたの? うちの総務、セキュリティがなってないな」
「すみません。でも、本当にわたし、あなたに興味があって」
「岡嶋さんって、ずいぶん積極的だね」
閑静な住宅街。
その細い路地を歩きながら、聞こえるのは彼とわたしの足音と会話だけ。
周りを歩いている人は他には誰もいなかった。
仕事が終わって、いつも直帰-----たまに買い物はするけど-----しているわたしは、こんな時間にここを歩いた事はなかった。
その路地の一角にある三階建ての小さなマンション。
どの部屋も同じ作りの1DKだ。
単身者向けで、他の住民とは会った時には挨拶を交わす程度。
地域の行事にも参加していないわたしは、近くに親しい友人はいない。
ここに引っ越して来たのは、前の会社を辞めてからすぐ。
以前は会社の寮に住んでいて、そこは会社の敷地内にあったので、どんなに午前様になっても夜道を歩いて危険な目に遭うという事はなかった。
だけど、ここは夜間になると今のように人気がない。
その点では、前の会社の方が良かったかもと思う。
まあ九時くらいまでは、誰かしら歩いてはいるのだけど。
父親はマンションから電車で二時間程度離れた町に住んでいて-----母はわたしが中学生の頃に病気で他界した-----そこには今でも学生時代の友人が数人暮らしてる。
お盆と正月くらいしか帰郷しないので、普段はLINEでのやり取りで終わっている。
わたしは都会に出たかった。
だから、高校を卒業してこっちで仕事を始めたんだ。
だけど、最初に入った会社はブラックだった。
当時まだ右も左もわからなかったわたしは、そこがブラックだとは気づかずに、長時間労働もこれが普通なんだと思い込んでいた。
朝八時に出社して、夜0時過ぎに退社する日々で体はボロボロ。
健康には自信を持っていたんだけど、ある日仕事終わりにぶっ倒れて救急車で病院に運ばれてしまった。
疲労困憊していたわたしは、地元の友人に打ち明けた。
「それ、完全にブラックだよ」
「すぐに辞めなよ。死んじゃうよ」
そんな友人の言葉で、わたしは退院するとすぐに辞表を出した。
それから今の会社に転職し、残業があったとしても十九時半には会社を出られる生活が始まり、改めて怖い所に勤めていたんだなと前の会社を振り返った。
今の会社でのわたしの仕事は受注業務。
文房具を扱う会社で、企業相手の業務なので一般の小売のお客さんからの直接の注文はない。
重見さんは営業部所属。
こまめに企業を回っては、大口の注文も取って来る。
二十人ほどいる営業の中でも、優秀な社員だった。
営業部と受注のつながりは強い。
受注一人が三~四人の営業を受け持っていて、窓口的存在となる。
わたしはまだこの人という担当は任されていないのだけど、そのうちチーフが振り分けてくれるらしい。
その時は、重見さんの担当にならないかなと、密かに願っていた。
「ありがとうございました。うち、このマンションなんです」
わたしが指差した二階の部屋を、じっと見上げる彼。
「あの部屋?」
「はい」
「二階って危なくない?」
「えっ?」
「女性のひとり暮らしだろ? 二階くらいまで、侵入される気がするんだけど」
「何言ってるんですか。大丈夫ですよ。それにほら、あそこにもこっちにも防犯カメラが付いてるし、全部屋警備会社が守ってくれてます」
彼は、わたしの指を追って、防犯カメラを見回した。
「へぇ~、小さなマンションだけど、防犯に関しては有能なんだ」
「わたし、田舎では父と二人暮らしだったんですけど、父がいるとやっぱり安心出来ました。だけど、ここでは防犯体制がしっかりしていないと安心出来なくて」
「お母さんは?」
「わたしが中学の頃に病気で亡くなったんです」
「それは寂しいね。実は僕も、父親がいないんだ」
「そうなんですか? それじゃ、お母さんとお二人で?」
「ああ。親父は、僕が大学に入る前に若い女を作って出て行ったんだ。母と二人になって、大学に行くのは辞めようと思ったよ。だけど、母が朝から晩まで働いて、僕を大学に行かせてくれた」
「そうだったんですか」
だから、お母さん想いなんだ。
なのに、みんなの態度ってどういう事?
「いや、いいんだ」
「重見さんの家、遠いんでしょ?」
「知ってるの?」
「ええまあ」
「誰が教えたの? うちの総務、セキュリティがなってないな」
「すみません。でも、本当にわたし、あなたに興味があって」
「岡嶋さんって、ずいぶん積極的だね」
閑静な住宅街。
その細い路地を歩きながら、聞こえるのは彼とわたしの足音と会話だけ。
周りを歩いている人は他には誰もいなかった。
仕事が終わって、いつも直帰-----たまに買い物はするけど-----しているわたしは、こんな時間にここを歩いた事はなかった。
その路地の一角にある三階建ての小さなマンション。
どの部屋も同じ作りの1DKだ。
単身者向けで、他の住民とは会った時には挨拶を交わす程度。
地域の行事にも参加していないわたしは、近くに親しい友人はいない。
ここに引っ越して来たのは、前の会社を辞めてからすぐ。
以前は会社の寮に住んでいて、そこは会社の敷地内にあったので、どんなに午前様になっても夜道を歩いて危険な目に遭うという事はなかった。
だけど、ここは夜間になると今のように人気がない。
その点では、前の会社の方が良かったかもと思う。
まあ九時くらいまでは、誰かしら歩いてはいるのだけど。
父親はマンションから電車で二時間程度離れた町に住んでいて-----母はわたしが中学生の頃に病気で他界した-----そこには今でも学生時代の友人が数人暮らしてる。
お盆と正月くらいしか帰郷しないので、普段はLINEでのやり取りで終わっている。
わたしは都会に出たかった。
だから、高校を卒業してこっちで仕事を始めたんだ。
だけど、最初に入った会社はブラックだった。
当時まだ右も左もわからなかったわたしは、そこがブラックだとは気づかずに、長時間労働もこれが普通なんだと思い込んでいた。
朝八時に出社して、夜0時過ぎに退社する日々で体はボロボロ。
健康には自信を持っていたんだけど、ある日仕事終わりにぶっ倒れて救急車で病院に運ばれてしまった。
疲労困憊していたわたしは、地元の友人に打ち明けた。
「それ、完全にブラックだよ」
「すぐに辞めなよ。死んじゃうよ」
そんな友人の言葉で、わたしは退院するとすぐに辞表を出した。
それから今の会社に転職し、残業があったとしても十九時半には会社を出られる生活が始まり、改めて怖い所に勤めていたんだなと前の会社を振り返った。
今の会社でのわたしの仕事は受注業務。
文房具を扱う会社で、企業相手の業務なので一般の小売のお客さんからの直接の注文はない。
重見さんは営業部所属。
こまめに企業を回っては、大口の注文も取って来る。
二十人ほどいる営業の中でも、優秀な社員だった。
営業部と受注のつながりは強い。
受注一人が三~四人の営業を受け持っていて、窓口的存在となる。
わたしはまだこの人という担当は任されていないのだけど、そのうちチーフが振り分けてくれるらしい。
その時は、重見さんの担当にならないかなと、密かに願っていた。
「ありがとうございました。うち、このマンションなんです」
わたしが指差した二階の部屋を、じっと見上げる彼。
「あの部屋?」
「はい」
「二階って危なくない?」
「えっ?」
「女性のひとり暮らしだろ? 二階くらいまで、侵入される気がするんだけど」
「何言ってるんですか。大丈夫ですよ。それにほら、あそこにもこっちにも防犯カメラが付いてるし、全部屋警備会社が守ってくれてます」
彼は、わたしの指を追って、防犯カメラを見回した。
「へぇ~、小さなマンションだけど、防犯に関しては有能なんだ」
「わたし、田舎では父と二人暮らしだったんですけど、父がいるとやっぱり安心出来ました。だけど、ここでは防犯体制がしっかりしていないと安心出来なくて」
「お母さんは?」
「わたしが中学の頃に病気で亡くなったんです」
「それは寂しいね。実は僕も、父親がいないんだ」
「そうなんですか? それじゃ、お母さんとお二人で?」
「ああ。親父は、僕が大学に入る前に若い女を作って出て行ったんだ。母と二人になって、大学に行くのは辞めようと思ったよ。だけど、母が朝から晩まで働いて、僕を大学に行かせてくれた」
「そうだったんですか」
だから、お母さん想いなんだ。
なのに、みんなの態度ってどういう事?