マザコン彼氏の事情
 わたしは椅子に座って待つ事にした。
 テーブルの上にはやり掛けの刺繍が見えた。
 お母さんの趣味は幅広い。

「お待たせ」

 お母さんは、それから十分位経ってから戻って来た。

「やっぱり元の主人だったわ」
「それじゃ、龍くんのお父さん?」
「ええ」

 別れたのに、今更何の用事があるんだろう。
 さっき怪訝に思って無愛想な態度を取ったのを後悔した。

「あの人、女を作って出て行っちゃんだけど、今はその人とも別れて一人なんですって。それに、腎臓病を煩っちゃってね。人工透析してるし年でしょ。仕事も思うように出来なくて、生活保護を受けてるのよ」
「そうなんですか」

 何だか哀れだった。
 でも、家族を捨てて若い女に走ったんだから、自業自得と言えばそれまでなんだけど。

「わたしね、あんな人だけど、世話をしてあげたいと思ってる。家も近くだしね」
「……」
「理解出来ないでしょ? わたしと龍を裏切った男の面倒を見るなんて。でもね、このまま放っておけないのよ。あの人、末期の腎不全でね、まだ今すぐどうこうって訳じゃないんだけど、いずれは腎臓移植をしないと死んじゃうんだって」
「えっ……」
「そう簡単に腎臓を提供してくれる人はいないじゃない。わたしのを片方あげてもいいんだけど、もう年でしょ。役に立つかどうか」

 ここですぐにわたしのをあげますとは言えなかった。
 他人のものを簡単にあげられるものなのかどうかもわからなかったし、わたしの腎臓が適合するとは限らない。
 それに、手術なんて、生まれてこの方した事がない。
 自分が病気でどうしても切開しないといけないならまだしも、健康な体にメスを入れるのには勇気がいるよ。

「くるみちゃん。わたしがあの人と会ってる事、龍には内緒にしてて。あの子、お父さんの事を恨んでいるのよ」
「わかりました」

 気持ちは良くわかる。
 お母さんの気持ちも、龍くんの気持ちも。

 それから、お父さんの事は龍くんには内緒のまま、お母さんからLINEで病状を聞いたりしていた。
 お母さんは、二日に一度はお父さんの家に行ってるそうだ。
 龍くんが仕事で居ない昼の間に。

「くるみ、今晩食事して帰らないか?」

 出張後初めてのお誘い。
 平日ノープランのわたしは、すぐにオッケーした。

 
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