泣かないで、楓
 バコン、と言う鈍い音と共に、後頭部にビリビリとした痛みが走った。

「何しとんのや?」

 クルリと後ろを振り向くと、全身ピンク色のジャージ姿の女が、腕をプルプルと震わせながら仁王立ちをしていた。

「楓………」

 そこには、僕と同期でこの事務所に入った、西野 楓(にしの かえで)がいた。

「お、おはよう」
「おそよう」

 楓は、まるで汚物を様なモノを見る目つきで、僕をにらんできた。

「アンタはアホか。ウチがせっかく確認したブツ(※注:ショーの衣装などの事)をひっくり返して」
「え!? そうなの?」
「そうなの? やないわ! アンタ、今が何時や思うとんの?」
「な、何時かな?」

 僕は、視線を泳がしながら、壁掛け時計に目を向けた。

「集合5分前や! もう全部、ウチがやったわ!! ったく、アンタはいつも……」

 楓はポニーテールの黒髪を振り乱し、ツバを床に撒き散らしながら、文句をべらべらと垂れ流した。
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