世界が終わる音を聴いた
そうだ、私の世界は、いつだって諦めることで支えられてきたのだ。
夢を見ることと挫折を繰り返して、子供の頃夢見ていたのは幸せな結末ばかり。
歌手になって、私の歌を人に届ける。
好きな歌を歌って生きていく。
好きな人に告白して、共に生きる。
愛し、愛され、幸せな日々を送る。
子供や、親に、愛しい人に囲まれて……
けれど、成長するにつれ、大人になるにつれ、現実はいつも容赦なく壁を作ってきて。
私にはそれを到底越えることも破ることもできなくて。
その先の景色なんて見ることもできなかった。
壁が見えれば回避して、いつしか、平坦な道を歩いてた。そびえ立つ壁がないということは、こんなにも楽なものなのか、と、私は思ったんだ。
その先の景色を見れないことを諦めてしまえば、壁を上る必要も越える必要も破る必要もない。
息切れをするような苦しみももがきも、挫折さえ存在しない。
ただ……心に、幾らかの虚無が残るだけ。
それにさえ、気づかないフリをしてしまえば、何に心を乱されることもなく、楽でいられる。
ひとかけらの“何か”を掴むためには、自ら手を伸ばさなければ、掴めない。
掴むことができるのは、手を伸ばした人だけ。
伸ばし続けられる人だけが、掴み取れる。
“掴めるかもしれない”僅かな期待を、裏切られることが怖い私はその期待すら抱かなかったフリをして、そこから景色を覗くのだ。
壁の向こう側を見た人を、羨ましがらない。
何かを掴んだ人を、羨ましがらない。
だって私は、ハナからそれを望むことすら、諦めたのだから。