忘れたはずの恋
「お久しぶりです」

完璧なスーツ姿で元カレは吉田総括に一礼をする。

「こちらこそ」

吉田総括は顔色一つ変えずに冷静な目で元カレを見つめていた。

「…ご結婚、されたのですね」

吉田総括の普段はあり得ない、冷えきった声が発せられる。

真夏だというのに、瞬間的に凍りそうになった。

私もチラッと彼の左手を見た。

真新しい指輪が薬指に。

…心臓のバクバクという音が外に聞こえそうだ。

「はい、成瀬さんと先日」

平気で言うのね。

「そうですか。
…それはおめでとうございます」

私は俯いたまま、顔を上げる事が出来ない。

「葵」

久々に呼ばれるその名前。

私は少しだけ顔を上げた。

「…お前も早く、結婚しろよ。
もう歳なんだし」

「…そう、だね」

胸が張り裂けそうになった瞬間。

「結婚に年齢なんて関係ないですよ」

吉田総括のいつもより1トーン低い声が聞こえた。

「…君も人にとやかく言う前に、若い成瀬さんに逃げられないように精々努力すべきですよ」

軽い舌打ちが聞こえる。

「…失礼します」

元カレが足早に立ち去った。



静まり返る休憩所。

「…私は吉永さんには本当に幸せになって欲しいです。
心の底から吉永さんの事を一途に愛してくれる人と、一緒になって欲しい。
あの人では吉永さんは不幸になるだけですよ」

…吉田総括。

嫌だなあ、涙が出てきたよ。

「…私の事を好きになってくれる人なんているんでしょうか」

顔を上げて苦笑いでもしてみせようって思ったのに、完全に失敗だわ。

号泣、しか出来なかった。

「…いますよ。
私はその候補を知っていますけど」

「もう、これ以上の慰めは不要です。
お気持ちだけ、頂きます」

私は顔をタオルハンカチで押さえると

「…総括。
もう今日は帰っていいですか?
とてもじゃないけれど今日はこれ以上、仕事が出来そうにありません」



甘い訴えだと思う。

でも総括は頷いて時間休の承認をして下さった。
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