忘れたはずの恋
「初めまして、藤野と申します」

「いらっしゃいー!!お待ちしておりました」

藤野を連れて家に帰ると早希子さんは嬉しそうに出迎えてくれた。
満面の笑み。

「お邪魔します」

ふと、藤野が視線を止める。
その先には真菜。
柱の陰に隠れてこちらをじっと見つめていた。

ああ、真菜。

凄くシャイな真菜は初めて会う人の前には中々出てこない。

藤野は一瞬、微笑んだだけでそれ以上は何も相手をしようとしなかった。
そんな藤野を見て真菜はちょっと寂しそうに…。
何やら企んでいるようにも見えた。
我が子ながら、ちょっと怖い。



「じゃあ、本当に何もなかったの?」

食事をしながら昨日の夜の事を聞く。

「ええ、何にも」

藤野は美味しそうにご飯を食べ、にっこりと笑う。
こんな風に笑顔を向けられると僕はもう、何も聞けなくなるんだけど…

「フラストレーション溜まりまくりでしょ?」

早希子さんはズバズバと切り込む。

「そりゃもう!」

藤野も目を丸くして早希子さんに訴える。

「目の前に大好きな人がいるんですよ!!
その頬にも触れてみたいし、もちろんそれ以上!!
…生殺しです、あれは」

と言って藤野はフッと息を吐いた。

「ただそこで手を出してしまえば、僕の負けですから。
今、ここで我慢しなければこれ以上の進展はないな、って」

まだ、何か言いたいことがありそうな顔をしているけれど、藤野はそのまま黙り込んだ。

「大人ー!」

早希子さんはそう言って意味深な笑みを浮かべて僕を見つめる。
はいはい。
あなたの言いたいことくらい、わかっています。

「で、そんな大人の藤野君は…。
彼女は藤野君の事、どう思っていると思う?」

ほー。
そう来ましたか。

「…嫌われてはいないと思います。
嫌いなら、公園で僕を見た瞬間、逃げると思うし」

「そうだねー。私もそう思う。
それに、昨日の事でもっと藤野君を意識したと思うよ」

また…早希子さんはチラッとこちらを見つめる。
嫌な予感しかない。

「まあ…私もこの人よりはうんと年上だし。
彼女の気持ちも何となくわかるわ。
色々と怖いと思う。
周りはそんな歳の差、気持ち悪いとか言うし」

その点については本当に申し訳ないと思います、今でも。
どうしても悪者にされるのは年上の方だと思いますし。

「きっと彼女は藤野君の事、大好きだと思う。
でもね、どうしても自分から素直になれないの。
好きだって言えないの。その年齢で付き合うなら結婚も意識する。
でも、相手は自分よりうんと若い。
いつ、裏切られてもおかしくない」

藤野の目の色が一瞬変わった。

『僕は裏切らない』

そう、言っているように思える。
いや、そう言っている。
僕も同じことを早希子さんには言ったから。

「もう、一偉みたいにね。
強引に襲っちゃえばいいのに。
自分のモノに、しちゃえば?」

藤野が不潔なものを見るかのようにこちらにゆっくりと首を向ける。

「さーきーこーさーん!!!!!」

手をグーに握り締め、プルプルと肩を震わせる僕を見て、早希子さんは手を叩いて笑っていた。
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