金魚鉢には金魚がいない
 姉は煙草に火をつけてから、「瞬ちゃんって覚えてる?」と聞いた。瞬ちゃんとは、当時都内で路上バンドのボーカルをしていて、姉の蒸発前に一番交流があった人だった故に姉の家出後度々お世話になった人だ。
 「覚えてるよ。当たり前でしょ。」私は言った。

 「私が家を出たあの雪の日の前日、彼が来ないかって言ってくれたの。もぅ全部忘れて、全部捨てて俺のとこ来いって。おまえの欲しがってる自由は腐る程ある、でも金はないからおまえが嫌う平凡もここにはないからって。なんだか泣けてきて、嬉しくて、金魚鉢から出してもらえた金魚の気分だった。私はずっと、代わり映えのしない部屋の片隅で小さな鉢に入れられたあの子達と一緒だと思ってた。あの子達と私だけが同じに不幸だって。丁度、私は全ての事においてもぅ限界だったの。ここから離れられることに、躊躇はなかった。」
 姉の部屋には今でも青いベッコウ飴で作ったようなガラス細工の金魚鉢がある。毎年夏に地元で開催される商店街の七夕祭りで、姉がよく金魚をとってくるからだった。
 姉が家を出てからは毎日、母親が餌をやり続け、それから半年後くらいに、三匹がたて続け様に死んでしまった。裏庭に埋めながら、母がいつまでも泣いていたのを覚えている。
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