春の扉 ~この手を離すとき~
突然に呼ばれて驚いたわたしは、思わず足を止めてしまった。振り返るとその女の人はゆっくりとわたしに向かってきている。
1歩1歩と近づくたびに、言い様のない圧が感じられて。
気づかないふりをして、逃げればよかった。
と思ってしまった。
その女の人はくっつくほどにわたしに寄ると、泣き晴らしたかのような真っ赤に腫れた目で、わたしの顔を遠慮もなくまじまじと見てきた。
泣いていて弱々しいのかと思ったけれど、その視線にはひしひしと拒絶的なものが感じられて、思わず目をそらしてしまった。
「はじめまして。ではないわよね? 」
わたしは1歩下がって距離をとると、黙ったままうなずいた。
「私は詩織。……咲久也から聞いていない? 」
……咲久也。
その親しげな呼び方に、先生と彼女の距離の近さを感じて胸の奥がチリっと痛む。