イジワルな彼に今日も狙われているんです。
「………」



しかし私は、十数メートル進んだところで足を止めて。



「……っあの、伊瀬さん!」



前を歩くかつて憧れたその人に、声をかける。



「あのっ、お手数おかけしてすみません……っそのテディベア、頼みます!」

「え?」

「本当に、ごめんなさい……!」



言うが早いか踵を返し、私は駆け足で元のルートを引き返した。

後ろから困惑したように私を呼ぶ伊瀬さんの声が聞こえたけれど、心の中で謝り倒しながら振り返ることはしない。


角を曲がって、廊下の先に目を凝らす。

後ろ姿を捉えた尾形さんはなぜかエレベーターには向かわず、階段の方へと足を進めていた。



「尾形さん……!」



走りながら呼んでみたけど、私の声は届かなかったらしい。

壁に邪魔されて視界から消えてしまったその背中を見失わないよう、必死で足を動かした。


ああもう、こんなに走ったのって、一体いつぶりだろう。

というかここ、会社なのに。偉い人に見つかったりしたら、これ絶対叱られちゃうやつだ。

でも、今さら止まれないし、止まる気もない。あの背中に、追いつくまでは──。



「……っ尾形さん!」



おそらく尾形さんは、ついさっきまでいた8階までこの階段を使って降りるつもりだったのだろう。

4階分って、絶対疲れると思うのに。やっぱりスポーツマンはすごいんだなあなんて今はどうでもいいことを頭の片隅で考えながら、もつれそうになる足で階段を駆け下りる。

そして今度こそ、私の声は届いてくれたらしい。すでに11階部分の床に足をつけていた尾形さんが、弾かれたようにこちらを振り向く。


ああ、やっと、追いついた。

安堵した瞬間、普段の運動不足がたたった情けない私の足が、踏むはずだった途中の段をずるりと滑る。
< 47 / 106 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop