イジワルな彼に今日も狙われているんです。
これは──この態度は、間違いない。

お酒に酔って、忘れてなんかなかった。

尾形さんは、覚えてる。

あの日の……金曜日の夜の、キスのことを。この人は間違いなく、覚えている。



「あー……悪いけど木下、そろそろ降り、」



重い口を開いた尾形さんの言葉をさえぎるように、私はその胸元のシャツをきゅっと両手でつまんだ。

驚いた様子で、彼がこちらに視線を戻したのがわかる。

意を決した私は、ぐっと眉間に力を入れてその瞳を見上げた。



「な、なんで、ですか」

「は……」

「あのとき、私に……どうして、キスしたんですか」



ぴく。床についた尾形さんの手が、小さく震えた。

恥ずかしい。ほんとは、羞恥心に押し潰されるまますぐにでも顔をうつむかせたい。

けれどもそれはダメだと自分を心の中で叱咤して、まるく見開かれたその綺麗な目から逃げないよう必死で視線を合わせ続けた。


驚いたように瞠目する彼は、やはり予想通り、あのキスのことを覚えているのだろう。

この反応を目の当たりにした今の私なら、キスなんてしてない、そんなこと覚えていないとたとえ後からしらばっくれられたとしても、それが嘘だと間違いなく見抜ける気がする。


そしてあの夜のことを、尾形さん自身が覚えていると知ってしまった今。

どうしてあのとき、彼は私にキスをしたのか──その理由を、教えて欲しいと思ってしまった。


たぶん、それを教えてもらったところで、どうするかなんて今はまだわからない。

ただ、知りたかった。自分の脳内でぐるぐるとわかるはずのない理由を探し続けるよりも……彼の口から明確な答えが欲しいと、思ったのだ。
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