イジワルな彼に今日も狙われているんです。
「あー……」



もう逃れられないと悟ったのか、そんなふうに声をもらしながらフイッと尾形さんが私から視線を外した。

その様子を見つめ、こくりと唾を飲み込む。なぜか頬を引きつらせている彼が、少しの間のあとつぶやいた。



「……なんとなく?」



──『なんとなく』。

たった今目の前の人物がぽつりと言い放ったひとことを、頭の中で反芻する。

なんとなく。なんとなく彼は、あのとき私にキスをした。


なんと、なく。



「………」



その瞬間。私の中で何かがガラガラと派手な音をたてて崩れたような、もしくは張り詰めていた糸がプツリも千切れたような、そんな感覚がした。

尾形さんは相変わらず、私と目を合わせまいとしているのか視線を床に落としている。

そんな彼の横顔を呆然と見つめたまま、私はゆっくり立ち上がった。


……今日、スカートじゃなくて、よかった。

この状況に合っているのか若干的外れなのか、そんな微妙なことを思いながら、静かに口を開く。



「……さ、い」

「え、」

「あやまって、ください」



たぶん、今度ははっきり発音できた。

ようやくこちらを見た尾形さんの口元は引きつっていて、もしかしたら彼を見下ろす今の私はものすごく恐い顔をしているのかもしれないと考える。



「木下」

「いえ、やっぱりいいです。もう何も言わないでください」



言いながら、もはや今の自分が悲しいのかさみしいのか虚しいのか怒りたいのかよくわからない。よくわからないけど、とにかくすぐにでも目の前にいる人物から離れてこの場を立ち去りたいという、激しい衝動にかられた。

とりあえず、ここから離れよう。自分がこの場所に来た理由なんてもうすっかり忘れ、私はそのまま尾形さんに背を向けた。
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