イジワルな彼に今日も狙われているんです。
「なあ、触っても、いいか?」



低い声で問われたそれに、今度こそ心臓が止まってしまうかと思った。

固まって声も出せない私の返事を聞く前に、大きな手がそっとひざの上の両手を包み込んでくる。

あたたかい彼の体温が手のひら越しに伝わる。その瞬間、今まで必死に張りつめていた緊張の糸がプツリと切れた気がした。



「な、なんで、尾形さん……」

「ん?」



口元に小さく笑みを浮かべたまま尾形さんが首をかしげる。

なんでそんな、穏やかな顔してるの。なんでそんな、余裕なの。

尾形さんは、そうやって平気そうにしてるのに。それでもこの手に触れられてうれしいと、本能的に思ってしまう自分が許せない。


コップからこぼれてしまった水は、どうせ誰を潤すこともなくただただ冷えていくだけなのに。ぶわっと勢いよく、私の中に閉じ込めた感情が溢れ出す。



「なんで、こうやって、尾形さんは……っ! わ、私のこと、ただの後輩にしか思ってないなら、こういうふうに触ったりとか……っき、キスとか、しないでください……!」



今にも泣き出しそうに顔を歪め、私はとうとう、彼に訴えた。

驚いたように目をまるくした尾形さんは、それでもすぐにふっと表情を緩める。



「……木下、それって」



言いながら顔を傾けて、私の耳元に思いきりくちびるを寄せた。



「自分を俺の“特別”にして欲しいって、言ってるように聞こえる」

「……ッ、」



かあっと顔に熱が集まる。笑い混じりのその予想は、浅ましい私のまさに図星だったから。

再び耳元から顔を離した尾形さんは右手を持ち上げ、もう何の言葉も発せずにいる私の頬を指の背でそっと撫でる。
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