素直になれない雨と猫
「こんにちは」



すると頭上から、雨音に溶けてしまいそうな柔らかな青年の声が降ってきた。

吃驚して顔を上げると、シーメルトを囲う海のような、コバルトブルーの瞳と目が合った。

茶髪の癖毛、右手に青い傘、白いポロシャツに黒いズボン、首には深緑色のヘッドフォンをぶら下げている。

わたしを見つめる彼の瞳は、まるで宝石のように綺麗で。

とても懐かしい気がした。



「傘、忘れたの?」



彼が少し戸惑いながら小さく首を傾げて問う。



「……忘れてないです」

「忘れたんでしょ。よければ入れてあげるけど、家はどこ?」



強がるわたしに、彼はその場にしゃがみこんでわたしと視線を合わせると、優しく微笑んだ。

その笑顔があまりにも自然なものだったから、わたしは余計に恐れを感じて大きく首を振った。

優しいのは危険だ。

それは全部仮面で、ほんとの彼らは違う。また私を捨てる。あの人と同じように、きっと。



黙ったまま首を振り続けるわたしに、彼はしばらく座り込んだままの体勢でいたけれど、ふいにわたしへと手を伸ばして、疲れきった声で呟いた。



「風邪引くよ。僕はべつに君がどうなったっていいけど、君の家族は心配するだろうし」

「家族、なんていません」

「……そうなの?」



冷たく言い切ったわたしの言葉に、彼は一瞬目を見開いた。



「もう、帰ります」

「そう。君がそういうなら無理強いはしない。家に帰ったらちゃんと服を着替えて、温かいお風呂に入ってゆっくり休んでね」



一息にそれだけ告げると、彼は躊躇うことなく立ち上がって、わたしに背をむける。



遠ざかっていくその背中に、わたしは幻を重ねた。
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