できちゃった出産【ベリカフェ版】
 母がいてくれた頃は、わりと淡々と綴っていたと思います。もちろん、ハッピーな雰囲気はまるでなかったと思いますが(苦笑)。それでも、母や妹の存在が「真っ黒な日誌」になることを阻止してくれていたと思うんです。

 が、しかし――。サポートがなくなってからの日誌は、まさに「暗黒の書」と化していましたね……(汗)。足りない睡眠時間、片付かない家の中、主体的に家事や育児に関われない夫――日誌に書かれるのは、とにかく泣き言ばかりでしたね。

 子どもの様子を書くにしても、不安や心配なことばかり。今思うと、どうしてもっと「ある」ものや「できるようになったこと」に目を向けられなかったのでしょう。いつもいつも「たりないもの」や「できないこと」の数を数えては溜息をつく。そんな日々でした。

 本当にもうひどい内容でね。しかも字まで汚くて(汗)。それでも、書くことで吐き出していた部分もあって。二か月くらいは続けたのかな? けど、結局は断念。だって、とてもじゃないけど子どもに将来見せてやれるような内容じゃなかったですし(汗)。

 「あなたが生まれてきてくれてよかった」とか? 「ママにしてくれてありがとう」とか? 「あなたがママに強さをくれるの」とか? 「かわいいね、幸せだよ」とか? そういうの、おそらく一切書いていないでしょうから……。

 ただ、ひとつだけ――自分なりによく思いとどまったなと評価したいことがあるんです。それは、どす黒い感情の矛先が息子本人ではなく、辛い“状況”に向かっていたことなんです。

 本当にもうね、来る日も来る日も不安と不満ばかりの育児日誌だったんです。でも、私が腹を立てていたのは「その状況に」であって、「息子本人」に対してではありませんでした。だからでしょうね、「いなくなってしまえばいいのに」といった言葉は一度も出てはこなかったのです。

 では、息子に対する感情はどういったものだったかというと――「子どもも大変だよね……」みたいな??? 私も大変だけど、そっちも大変だよねぇ。この状況、ほんっとどうにかなって欲しいよね……と(汗)。その困難を共有する同士というのもあれですけど。やっぱり、パーティの仲間だった気がします(苦笑)。

 日誌が途中で終わってしまったことを後悔はしていません。でも、やめようと思ってやめたというよりは、書けなくなったというのが正しいのかも。鬱状態って読み書きが辛くなるものですからね……。そういう状態に陥っていたのかもしれません。

 途中で書くことを打ち切られた育児日誌は封印……えーと、厳重に保管されておりますデス。いつかその封印が解かれる日がくるのかどうかは……。


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