できちゃった出産【ベリカフェ版】

冷静な人々 その8――保健師のTさん

 子育て支援のひとつとして実施されているのが「新生児訪問」です。自治体の保健師や助産師などが新生児のいる家庭を訪問して、トラブルの有無を把握する。それとともに、必要があれば継続的な支援の手続きを整えるのが目的のようです。

 我が家にも来てくださいましたよ、保健師さん。それで、近況と心境を包み隠さずお話しした結果「引き続き定期的にフォローさせてください」とのお申し出を受けましたとさ(苦笑)。

 私、ほっとしたんです。え? 自分の育児を否定されたような気はしなかったのか? 自尊心は傷つかなかったのか? 自分が至らないばかりに「目をつけられたりして」と自己嫌悪に陥ったりはしなかったのか? いやいやいや、そんなのはぜんぜんですよ。

 だって、自分の危うさは自分が一番自覚してましたから。こういう言い方はなんですが、私のことを「こいつは何やらかすかわからない」と誰よりも疑っていたのが私自身でしたらかね。

 だから、思っていたのです。自分には第三者の見守りが必要だろうなと。見守りというか――「お願いだから、誰か私を見張っていてください」と。そんな縋るような思いがありました。つうか「あたしを見張っていて」とか、どんなプレイだよ(監視プレイ?)って話ですけどね(苦笑)。

 それからというもの、定期的に保健師のTさんが我が家を訪れてくれるようになりました。保健師さんや助産師さんって、ご自身の経験を語る方がけっこういらっしゃる印象でしたが、Tさんは珍しくプライベートを話すタイプではありませんでした。なので、彼女が私と同年代で独身であるというのを知ったのは、ずいぶん後になってからのことだったのです。

あるとき、私はTさんに言いました。

子どもに対して愛情が溢れてくるような感覚がわからない。こうなることは予想していたし、もう仕方がないとも思う。でもやっぱり、子どもに申し訳なくて……。みんなが普通に与えられているであろう大切な何かが、彼(息子)には足りていないのではないか。決定的に欠けてしまっているのではないか。そう思うと苦しくてたまらなくなる。だからといって、自分を変えることなどできないくせに……。

Tさんは私の話に静かに耳を傾けてくれました。そして、こう言ったのです。

「たとえ“可愛い”と思えなくてもいいんじゃないでしょうかね」

もちろん「いんじゃね?」みたいな軽いニュアンスじゃありませんよ。そして、こんなふうに続けたのです。

「清潔なお部屋でちゃんとお世話をしてもらえて。こんなふうに関心を持ってもらえていて、彼はじゅうぶん幸せだと思いますよ」

さらに、世の中には「可愛いのにどうして傷つけてしまうのだろう」と苦しんでいる母親たちもいるのだと。

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