できちゃった出産【ベリカフェ版】
以前、友人にこんなことを言われたことがあるんです。「ちさとさんは母性がないというけれど、子どもを迎えた新しい生活を“冒険の旅”にたとえるなんて十分ロマンチストじゃない? 母性があると思うけど?」と。でもね、やっぱり違うのですよ。ぜんぜん違うのです。
出産の痛みを経験してもなお、再び子を授かって産んでみたい。そして、生まれたての我が子を抱いてみたい。愛情をもってまた最初から育てたい。その気持ち、或いは衝動――私はそれを到底理解できないのですから。
母性は社会をうまく回したい人やモノをたくさん売りたい人が「でっちあげた幻想」である。それは間違いではないでしょう。ただそれとは別に、やはり女性には身体的機能として備わった母性があるのかもしれない。そんなふうに思ったのです。
出産の痛みを忘れさせることも、痛みを経験してもなお再び赤ん坊を抱きたいと思う衝動も、母性という機能がなせるわざなのではないでしょうか。一般に、男性は出産の苦痛に耐えられないと言われていますよね。それはまさに、母性という機能がないからなのかも?と。今更ながらそんなふうに思えてくるわけです。
じゃあ、私は何なのか? 言ってみれば「先天性母性欠損症」みたいなものでしょうかね……(苦笑)。これ、やっぱり生まれつきのものなんじゃないですかね? いやまあ、わかんないですよ。私は医学や生物学の専門家じゃないですから。
<<はじめに>>で「女の子は素晴らしい母性を持って生まれてくる」という説について、私は懐疑的であると申し上げました。でも、やっぱりあるんでしょうね。女性だけが持って生まれてくる機能のひとつとして。ただ、100%全員ではないというだけで……(汗)。
実際に自分が子どもを産んで母業に携わってみて思い知らされたこと、それはやはり――「無いものは無いから仕方がない」ということでした。妊娠したからといって、出産したからといって、育児をはじめたからといって、何も変わりはしなかったのです。私にとって人間の赤ん坊は、いぜんとして畏れ多い不思議な存在であり、可愛いという感覚はやっぱりどうにもわからないままなのですから……。
あれ? 母性はどうした? 忘れてきた? 置いてきた? どうしてなのかは自分でも覚えちゃいませんけどね(苦笑)。どういうわけか、それを持たずに生まれてきちゃう女児もいる、と……。もし、母性の有無を客観的に評価する技術があっとして、「母性を有する者こそが女性である」と定義される世の中だったら――? そんな想像よせばいいのに、勝手に考えて勝手に困って苦笑いする私なのでした。
出産の痛みを経験してもなお、再び子を授かって産んでみたい。そして、生まれたての我が子を抱いてみたい。愛情をもってまた最初から育てたい。その気持ち、或いは衝動――私はそれを到底理解できないのですから。
母性は社会をうまく回したい人やモノをたくさん売りたい人が「でっちあげた幻想」である。それは間違いではないでしょう。ただそれとは別に、やはり女性には身体的機能として備わった母性があるのかもしれない。そんなふうに思ったのです。
出産の痛みを忘れさせることも、痛みを経験してもなお再び赤ん坊を抱きたいと思う衝動も、母性という機能がなせるわざなのではないでしょうか。一般に、男性は出産の苦痛に耐えられないと言われていますよね。それはまさに、母性という機能がないからなのかも?と。今更ながらそんなふうに思えてくるわけです。
じゃあ、私は何なのか? 言ってみれば「先天性母性欠損症」みたいなものでしょうかね……(苦笑)。これ、やっぱり生まれつきのものなんじゃないですかね? いやまあ、わかんないですよ。私は医学や生物学の専門家じゃないですから。
<<はじめに>>で「女の子は素晴らしい母性を持って生まれてくる」という説について、私は懐疑的であると申し上げました。でも、やっぱりあるんでしょうね。女性だけが持って生まれてくる機能のひとつとして。ただ、100%全員ではないというだけで……(汗)。
実際に自分が子どもを産んで母業に携わってみて思い知らされたこと、それはやはり――「無いものは無いから仕方がない」ということでした。妊娠したからといって、出産したからといって、育児をはじめたからといって、何も変わりはしなかったのです。私にとって人間の赤ん坊は、いぜんとして畏れ多い不思議な存在であり、可愛いという感覚はやっぱりどうにもわからないままなのですから……。
あれ? 母性はどうした? 忘れてきた? 置いてきた? どうしてなのかは自分でも覚えちゃいませんけどね(苦笑)。どういうわけか、それを持たずに生まれてきちゃう女児もいる、と……。もし、母性の有無を客観的に評価する技術があっとして、「母性を有する者こそが女性である」と定義される世の中だったら――? そんな想像よせばいいのに、勝手に考えて勝手に困って苦笑いする私なのでした。