ダブルベッド・シンドローム
社長は対面のソファから、こちらのソファへと移動すると、私が小さい頃に父にされたように、優しく頭を撫でたのだった。
私は涙が、再び収まりきかなくなって、社長の優しい表情を見ていたら、ついにボロボロと溢れてきてしまった。
社長の手の感触は、大きく、温かくて、この手があの日も、桜さんを撫でたかと思うと、確かに少し、救われた気分になったのだ。
「社長・・・。」
「桜は、最期は笑っていたよ。私に会えて良かったと言っていた。私はそれを伝えたくて、あれから今まで、ずっと君を探していたんだよ。ありがとう。私と桜を、最期に引き合わせてくれて。」
あの男性が幸せになれたのか、私はずっと気になっていたのだ。
知らずにいられた大切な人の死を、突然知ることとなって、それを一生背負うことになって、知らなければよかったと、私を恨んだのではないか、と。
最期に笑い合えたという二人の姿が、鮮明に浮かび上がってきて、だから私は、「良かった」と、自然に口から漏れていた。
あの日のことを、初めて「良かった」と思えたのだ。
「菜々子さん。」
すると社長は、対面のソファに戻った。
そのせいでまたソファが揺れて、涙が少しだけ収まった。
「はい。」
「君には施しを受けてばかりなのだが、最後に一つだけ、お願いがあるんだよ。」
私はここまで、社長に壮大に感謝をされ、桜さんとの思い出を鮮明に話してもらったわけなのだが、私は、これから社長が話すことが、おそらく彼の話の本題なのだとピンときた。
彼は今から話そうとすることを、この数年、ずっと口に出せることを待っていた、そんな表情だったのだ。
「慶一のことだよ。慶一はね、彼女が亡くなったことを知らないんだ。私が伝えていないからね。」
それはもちろん、気づいていた。
私は驚くことはなく、しかし疑問に思わないわけがなかったので、問い直すこととした。
「どうして伝えないんですか。」
「ね。卑怯だろう。自分は真実を知って、そして彼女を看取ったことで、それまでの、目に見えない全ての疑問から解放されたのに、慶一のことは、解放してあげないなんて。」
「・・・いえ、卑怯、とは言いませんが・・・でもそれはなぜなんですか?」
「本当に単純なことなんだ。何て伝えたらいいか、分からないんだよ。適切な言葉が見つからないまま、悩み続けたままで、今日まで言えずにいるんだ。」