ダブルベッド・シンドローム
『なによ、私忙しいんだけど。』
電話をかけるとユリカはいつもそう言うが、子供もいない専業主婦で、ついでに医者である夫も帰りが遅く、忙しいわけがないのを知っていた。
「いや、昨日は電話で最高って言ったんだけどさ、そうでもないかもしれないと思って。この同居。」
日常的に連絡をとる友達は、ユリカしかいなかった。
だから誰もが羨むような玉の輿婚を控えていても、それはユリカにばかり報告するしかなかったのだ。
『なんで。若くて格好いい、大企業の御曹司で、しかもそれが優しくて爽やかで言うことなしだって、夢が現実になったって言ってたじゃない。それがなんで一晩で変わるの。夜がダメだったの?』
「いや違うの。ソッチは関係ない。」
『じゃあ何。』
「というかそもそも夜はなかったの。ダブルベットだけど。さすがにまだ早いんじゃないかって気もするし。ほら、婚約したからってすぐ寝るなんて、なんだか通過儀礼みたいじゃない?」
『へえ、で、何。』
「なんか、私、このままじゃ堕落していきそうで。」
ユリカはこの電話の中で初めて、興味ありげに間をとって聞き返してきた。
『堕落?どういうこと?』
「あっちは、すごくきちんとした性格なのかもしれないのよね。毎日決まったことを決まった順序でこなしていくの。思い返せば前からそうだったもの。デートは二回だけしたけど、そのときもきっちり十五分前にきてた。助手席にウェットティッシュを用意してて、食事後にミントのガムもくれた。ガムは残り少なかったから、日課なのよ、食事後にガムを噛むことが。」
『・・・別にいいんじゃない?清潔で気が利く良い男にしか思えないんだけど。』
「それだけじゃないの。私のつまらない話も聞いてくれて、私の希望を真っ先に聞いてくれるの。多分、ガムの味も、ミントじゃなくてグレープがいいって言えば、すぐに替えてくれると思う。」
『最高じゃない。うちの旦那はそんなことしてくれないよ。まあ、それどころか何にもしてくれないけど。』
「そうなの?浜田先生って、家事できるイメージなのに。」
『うちの旦那はどうでもいいよ。で、それの何が問題なの?甘やかされて堕落しそうってこと?』