ダブルベッド・シンドローム
「菜々子さん、私はね、君に救われたんだ。君と会うのは初めてじゃない。君は気づいていないけれど、それは私にとって、重大な出来事だったんだよ。」
「え?何のことですか?」
「それは秘密。私の大切な思い出だ。」
「いえ、困りますよ。私の思い出でもあるんですよね?」
社長が教えてくれないので、ちらりと専務を見たが、専務もその思い出とやらを知らないようで、私と同じ、続きを求めるような目で社長を見ていた。
仕方なく自分で掘り返してみた。
「救われた」ということから、まず私は何かの拍子に社長の命を救ったのではないかと疑うと、容易に、前職が関係しているのではという予測が立った。
私が勤めていた病院は、比較的、裕福な人が利用するところであった。
プライバシーが守られ、個室の設備が圧倒的であり、この社長が入院していたとしても不思議はない。
しかし、私は患者の顔を覚えることに長けていたし、何よりこんなイケている顔をした社長を担当したとしたら、忘れるはずがないのである。
だいたい、病院は命を救うことが仕事なのだ。
そんなことでいちいち息子の嫁に宛がっていては、世の中の看護師が皆、御曹司の嫁になってしまう。
「あの、社長。それは、こうして大切なご子息に面倒を看させるほど、私が際立って素晴らしいといえる思い出でしたか?」
念のため、そう尋ねた。
もしも私が忘れているだけで、本当に病院での経験であるならば、それは社長の勘違いである。
勘違いというのは、それだけのことでここまで感謝されるのは、筋違いであるという意味だ。
私は感謝されるような看護師ではなかったからである。
「君は自分の素晴らしさに気づいていないんだ。それどころか、その素晴らしさを、欠点であると思い違いをしている。でもうちの息子なら、菜々子さんの素晴らしさに気づけるよ。わざわざ私が教えなくてもね。」
「あの、よく分からないのですが、それでは社長は、私のために専務との結婚を考え出したと言いたいのですか?」
「そういうわけでもない。菜々子さんのためを思う部分もあるにはあるけれど、息子のためと、そして私のためだね。」