ダブルベッド・シンドローム
私たちは秘書室のドアの前で話していたわけなのだが、彼女は急に、荷物を持ったまま部屋へと戻ると、内線電話の受話器を取った。
ボタンひとつで繋がるところへ、電話をかけ始めた。
私はただ、許可をもらっていないが、ドアより内側へ入って、その様子を見ていたのだが、北山さんは私にちらり目線をやると、「ああ、専務ですか、突然すみません」と電話に向かって話し始めた。
電話の向こうの慶一さんは、何か、彼女に対して労る言葉を言ったようで、彼女は「ええ、私は大丈夫です」と答えていた。
私はもしや、北山さんは私に何かを見せつけるつもりなのか、と思うと同時に、もしそうなら、彼女に抱いた憧れを帳消しにしようかとも思っていた。
「専務。今日は、菜々子さんは用事があるようです。先に帰ってほしい、と仰っていました。それだけお伝え致します。」
しかし北山さんはそれだけ言うと、さっさと電話を切っていて、しかしそれは私自身はいっさい仰ってなどいないことだったので、私は一歩後ずさり、彼女から距離をとった。
「北山さん。どうして慶一さんに、そんなことを、」
彼女はほんの少しだけ眉を寄せたのだが、私はその原因が、私の呼び方が「慶一さん」に戻ったことを初めて披露したからであるということに気づくのには、数秒の時間がかかった。
しかし私は彼女から、それが実際に、慶一さんを好きだという仕草を初めて感じ取った機会となり、そして同時に、それが最後であるとも思った。
「菜々子さん。貴方の話を全て聞いたつもりだけれど、つまり、あなたは全てを自分の目で確かめてはいないということよ。あの日のことが、社長にとってどんなことであったのか、それは社長にしか分からないことなのだから。直接聞いてみればいいんじゃないかしら。」
彼女がそう言ったことで、たしかにこの壁を隔てたすぐ隣に社長室があることを思い出し、そしてこの部屋を出たら、すぐにそこへ寄ろうという気になった。
彼女はおそらく、そのために慶一さんを先に帰らせたのだから、それはその提案に乗るべきだと思ったのだ。
しかし、北山さんはその後、私を置いて、今度こそ社員証や名刺を返すために部屋を出ようとするものだから、私はたまらず、彼女の背中に「あの、」と声をかけていた。
「何。」
彼女は振り向いた。
「北山さん。北山さんは、慶一さんのこと、ずっと好きだったのかもしれません。でも、それでも私も、慶一さんが必要なんです。ごめんなさい。」
「彼が好きなの?」
「好きです。」
「そう。」