まさか…結婚サギ?

貴哉 ´s Office ③

月曜日、いつも通り貴哉の仕事はきびきびと進んでいく。

いつもと変わらず忙しそうであるが、どことなく調子が良さそうである。

「俺を気にせずに加島さんは、休憩してきて」
貴哉が淡々と言ってきたのは、通常の昼休み時間がずいぶんと過ぎた頃。
「何か買ってこようか?」

年末のこの忙しい時期である。
貴哉は食べる時間がないかも知れないと聞いてみた。

「大丈夫、持ってきたから」
「あ、そう」
「うん」

短いやり取りでまた貴哉の携帯がなり、その応対をしている。
優菜からすると眩暈がするほどの忙しさだ。
「加島さん、一緒に行こうか」
珠稀がランチに誘ってくる。

珠稀の机にもやはりまだまだ終わらなさそうな仕事があるものの、きりがなさそうだ。
「忙しいですねぇ…」
「紺野くんなんて、スケジュール滅茶苦茶よね。サポートする加島さんも大変だわ」
珠稀の声に
「わかってくれます?」
うんうんと、珠稀が頷く。

昼休みが遅くなったとはいえ、悪いことばかりではない。
お店が空いてくるから待ち時間がないのだ。

「あ…加島さん?」
横から声をかけてきたのは、貴哉の彼女の由梨だった。

「えーと、由梨ちゃん?」
名字を忘れたので優菜がそう呼びかけた。
お酒を飲んでいたせいで、貴哉が呼んでいたゆりという名前しか思い出せない。
「はい。こんにちは」

この前も思ったけれど、由梨の声はやはり可愛らしい。このガーリーな女の子と、冷血男の組合せがどうしても優菜には違和感がある。

「由梨ちゃんも今からランチ?」
「そうなんです…今日はお弁当を忘れてきてしまって…」
「あ、じゃあ一緒にどう?」
珠稀が誘うと
「いいんですか?ありがとうございます」

うれしそうに微笑んでついてくる。

OLに人気のヘルシーランチは野菜中心の玄米ご飯のプレートである。

コートを脱いだ由梨は、女の子らしいワンピースであるが今はアクセサリーはつけていなかった。

「いつもはお弁当なの?」
「そうなんです。昨日の残り物とか適当に持ってくるんですけど…」

さすが女子力が高いなぁと思ってると

「実家なので…甘えっぱなしですけど」

と由梨は言ってくる。
「今日は…慌てちゃって…家に忘れてきちゃったんです」
「由梨ちゃんでも慌てるんだ」
「私、わりと抜けてるんですよ…。玄関に置いたまま出掛けちゃうとか…」
「何となくそれはわかりそうな気がする」
珠稀が遠慮なく言う。
抜けている…抜けていなければ貴哉に騙される(?)事はないと確かに思う。

「それはそうと、紺野くんは由梨ちゃんからみてどうなの?」

珠稀がずいっと踏み込んでいる。

「貴哉さんはあんなに格好いいのにすごく優しくて、私にはもったいないくらいの人です…。一昨日も…家の近くの方まできて、ご飯にしたんですけど…私、酔ってしまって…そうしたら、貴哉さん家までわざわざ送ってくれたんですよ?私実家なのに…」

(え…由梨ちゃん、実家にあの男を連れていっちゃったの?)

「で、遅いから泊まることになっちゃったのに全然嫌な顔しないで、父とお酒も飲んでくれて…あ、うち二人姉妹で、父はそういうのしたかったと思うんですよ」
「へぇー、仲良くしてるんだね」
思わず誰の話だと思わずにはいられない。

「水族館にも行ったんですよ?意外じゃないですか?」
「確かに、イルカショーとか見そうにないかも」
「ですよね?いつも、私が遅くならないように気遣ってくれるし、本当にいつも優しいんです」

ぽっと頬を染めてる由梨は恋する乙女そのもので、可愛らしい。
貴哉がイルカショーを見てる姿を、想像して優菜はどうしてもその顔がモザイクになってしまう。

「ねぇ、っていうことは…二人はまだ…なの?」
確かに遅くならないように、ということはお泊まりは無しなのか…と推測できる。
「駒野さんっ…、それは聞かないでください~」

頬に手を当てて照れている由梨は本当に可愛い。
すっかり当てられてしまったなぁ、と思いつつもちらりと珠稀を見ると、優菜と同じ意見だろう。
(油断させてがぶっといくつもりなのかな…)

由梨はすっかり貴哉の罠にはまっていると…。

けれど、この冷血腹黒男の正体に気づかずに幸せそうに優しい人、と話す由梨にはそんな事は言えなかった…。

「駒野さん…由梨ちゃんって…騙されてますよね…」
「…外堀から埋めていってる感じよね…あんなに、紺野くんの事、信用しちゃってて…」

しかしながら、今その事を由梨に告げて貴哉の逆鱗に触れるのは優菜としては命が惜しい。

そんな事を話しながら帰ると、貴哉は忙しそうに仕事をこなしていた。机の上には、手作りらしいおにぎりが食べかけで置いてある。
たぶん、由梨が持たせたのだろう。貴哉には持たせて、自分のを忘れるなんて本当にぽやっとしている。

「加島さん、これも頼むね」
「はい~」

貴哉から回された書類を受けとる。

気合いを入れ直して、優菜は仕事を再開させる。

***

「うぅーん!!」

とっぷりと夜になり、
「あ、もうこんな時間だ…」
優菜が呟くと、
「帰ろう…」

さすがに疲れの滲んでいる貴哉も帰り支度をしている。
「紺野くんさ…。由梨ちゃんの実家に行ったんだって?」
「由梨に会った?」
「うん、昼休みに」
「一昨日に、いったよ」
「なんか、その回りから固めていくの、怖いんだけど~」
「ふっ…」
貴哉の黒い笑みがゾクリとさせる。
「回りから囲んで、逃げられないようにしてるように、みえる?」
「見えるし!こわいし!」

優菜がいうと、

「安心して、加島さんにはそんな事しないから」
「安心させてもらいますよ~!でも、あんなさ~紺野くんの事、信じてるの見ると…なんていうか良心が痛むっていうか…」

「加島さん。なんか誤解してそうだけどさ、俺はこのくそ忙しい時に、何とも思ってない女性を騙そうとするほど酔狂じゃないし、時間もお金もかけたくないから」
「ん?つまりは」

「その先を言うのは由梨にだけだから」

ふっと笑うその顔が、優菜にもとても色っぽく魅力的にみえた。
(え?今の笑いは黒くなかったよね?)

「えー、つまりはすっごい、惚れてんの?あいつ…」
慎一がとても興味深そうに、スマホを操作しつつ帰っていく貴哉を見つつそう言った。

「これってまさしく青天の霹靂?」

どひゃあ…。と優菜は思わずのけ反りそうになる。

「でもどうして、回りから固めてるんですかね」
悠太が言うと、
「下島くん、あの性格がいつまでも隠せると思う?多分、由梨ちゃんが気がついて、逃げようとした時にはもう遅いのよ」
珠稀がそう解説をした。
「なるほど!さすが成績No.1の男は違いますね!」

悠太の無邪気な声に、優菜はどっと疲れた。

(こいつは少しは空気を読め…無邪気に誉め称えるな)

ある意味大きな才能である。

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