(A) of Hearts
だけどいまなら間に合う。
まだ大丈夫だよね?
『ヒロは館野のことが好きだった。我慢できないほど欲情してしまった。だから館野が寝た布団は干すほど臭くなるから寝れない、大嫌い。と言った』
だめだ。
どうしよう。
三度目のキスのあと芦沢さんは謝らなかった。
そのあとすぐテーブルに食事が並んだけれど、楽しみにしていたれんこん饅頭はなにを食べているのかわからない状態で。ぎゅうぎゅうと詰め込んだことは覚えている。
それから、信頼してついてきてほしいといった芦沢さん。わたしは話題を違う方向へ持って行きたかったけれど、芦沢さんはアヤさんへ事情をきちんと説明して結婚はなかった方向に持って行くといった。
だけど、そんなの望んでいないよ?
それなのにキスを受けてしまってさ。アイデンティティが崩れ落ちたような感覚。
わたし、これからどうなっちゃうの。
「はあ…」
ご飯を食べ終えたあと、芦沢さんはマンションまで送ってくれた。そしてタクシーの中では、なんとかするから心配しなくていいって。別れ際には抱き寄せられてしまい——。
鏡の前に立ち襟ぐりをほんの少し下へずらしてみる。
ここに顔を埋めた芦沢さんだ。
ふわっと纏う香りがヒロのようでもあり、そうでもないと思えた。けれど熱い息が首筋に触れたときは耐えきれず、肩を竦めてしまって。そのとき、ちくっと小さな痛みが。
「うわ……」
紅く滲んだこれ——、
これってキスマークだよね。
こんなの簡単についちゃうものなの?
自分についているのはじめて見たよ。
そういえば、これが消えるころまでには身辺整理を済ませるといっていた。婚約を破棄するつもりなのかな。
昨夜は芦沢さんがヒロだったという衝撃と濃厚なキスから抜け出せず、わけがわからないフワフワした状態のまま帰宅したけれど、朝を迎えるころになると冷静になってくる。
「どうしよう」
無意識にスケジュール帳を開いていた。
これももう朝の一連作業だ。
今日は午前中に会議を済ませたあと支社や支店を回る予定の芦沢さん。だから今週はもうほとんど顔を合わすことがない。それに来週の水曜日からM&Aの件で海外側とのミーティング入っていた。
キスマークがいつまで残るものなのかわからないけれど結婚式は来月なわけで……。
——と、そんなとき携帯が鳴った。