(A) of Hearts
「出張など基本秘書は社に残ってもらうことが多い。今回同行してもらうのは、早く慣れてもらうため。現場を見ておくのは勉強になる」
「はい…っ!」
「本当に必要なのは、学歴でも資格でもなく経験だと思ってる。これは自分にもいえるが」
「ですが専務は海外での勤務実績がおありなので、お強いですよね」
すると資料から顔を上げた芦沢さん。
なにも言わずにわたしの顔をじっと見てから、ふたたび資料へ視線を落とした。
「俺はまだ上に立てるほどの器じゃない。けれど、この人だからついていきたい。そう思えるような上司を目指したいと思ってる。だから館野には、そのサポートを頼む」
「かしこまりました」
それから難しい顔して眉間に皺を寄せ、また黙りこんでしまった芦沢さんを見て大人の色香というか、なんだか男のロマンって感じ?
そんな専務にふさわしい秘書である努力をしなければ…っ!なんてさ。モチベーションも上がる。
「なんでもいいつけてください。わたしいま、なにをすればいいですか?」
「適当に喋って」
「——へ?」
「まだはじまってもいない。だからこそなのか、いくら頭に詰め込んでも不安になる。俺が口を開かないとき、適当に喋ってくれ。黙ってほしいときは、そういうから」
え、えええぇぇ。
そんなこといわれても困る。
「って、こんなふうに、ときには情けなくなることもあるかもしれないけれど、俺を信じて着いてきてくれ」
「——はい」
まるでプロポーズのような台詞に、ことの重大さをふたたび実感した。