テンポラリーラブ物語
 昼に社長がひょっこり顔を見せた。

 その辺に居る親父とあまり変わらない風貌で、どこかネズミっぽい。

 社長らしからぬ、ふんぞり返った態度はなく、たよりなさそうではあるが、ちょこちょことして常に何かを探しているような態度は商売するには長けていた。

 あまりうるさく言わないところも、氷室にはやり易く楽だった。

 あまり物事にこだわらないから、なゆみのようなタイプを気軽に雇ったのだろう。

 これが専務だったら、絶対になゆみは断られていただけに、なゆみ自身運が良かったのかもしれない。


 運が良かった? この店で働くことが?


 なんだかその言葉が頭に浮かぶと変に自分の中の溝がくっきりし、違和感を抱いてしまった。
 
 そのなゆみだが、面接を受けた知ってる顔が来たことで、姿勢を正して、元気に挨拶を交わしていた。

「おー斉藤さん、早速頑張ってるかね。制服明日には来るからね」

「はい、ありがとうございます」

 深々と頭を下げている。

 たかが4ヶ月なのに、そこまで律儀にならなくてもと氷室はコンピューターを前にしてキーボードをいい加減に叩く。

 水たまりのような汚い水の中で、一人元気に泳ぐ無垢なクリオネを見ているようだった。

 そういう自分は一体何に例えられるのか。

 魚にもなりきれない、ただ漂う藻に思えてならなかった。

「氷室君、ちょっと」

 そんな時、社長に呼ばれ、氷室はおもむろに立ち上がり、社長と一緒に控え室に入った。

「今度入った、斉藤なゆみ、宜しく頼むね。あの子8月一杯までなんだけど、9月から留学するんだって。話してたら、英語に対する情熱にうたれてね、どうせ一日ですぐ辞める子もいるから、期限付きで雇ってもたまにはいいかなって思ったんだ。なかなかいい子でしょ」

「は、はあ」

「話はそれだけだから、後はまたよろしく頼むわ」

 簡単に話をして、社長はまた店を後にした。

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