テンポラリーラブ物語

 暈を被った月は、とても曖昧ではっきりしない。

 氷室もまた自分のこの状況と重ね合わせている。

 なゆみはすぐ隣にいても、それは思いが届かない限りとても遠い。

 一緒に肩を並べて歩いていても氷室はすっきりしなかった。

 久しぶりに話しを交わしたなゆみはまたジンジャのことで悩んでいる。

 その姿を見れば、この湿気を含んだじめっとした嫌な空気が心にどんどん溜まっていくようだった。

 心の中もねっとりじめじめ。

 だが、暈を被った月の周りは光の輪に包まれていた。

 それはそれで美しい希望の光のようにも見えた。

 気を取り直し、氷室はなゆみの心の中に入りこもうとした。

「9月から留学か。斉藤はアメリカでアメリカ人とテンポラリーラブをするのか」

「えっ。またテンポラリーラブの話ですか。そんなに気に入りました? その言葉」

「いや、正直、そんなの嫌だって思った。俺は惚れたら一直線でテンポラリーなんてありえない。目の前から姿が消えてもはっきりと振られない限りずっと思い続けたい」

 ──俺の気持ちに気が付いてくれ!

「だからそれはトゥルーラブなんですよ」

 ──だからいちいち訳すな。もう、かったるい!

 なゆみの鈍感さはある程度、氷室も気が付いている。

 これならばはっきりさせるしかない。

 氷室は強気に出た。

「別に英語にしなくても日本人なら日本語で、本人に愛してるって言えばいいことなんじゃないか。こんな風にさ」

 氷室はなゆみの前に立ちふさがり、真剣に目を見つめ、彼女の両肩に手を置いた。

「好きだ。愛してる」

 本気が反映された声は甘くベルベットのような滑らかさを帯び、その声がなゆみの耳に届くとそれは魔法の力を得てなゆみの動きを止めてしまった。

 動いているのは心臓だけ。

 その言葉の意味に魅せられて、激しく膨れ上がるように収縮を繰り返している。

 氷室の目は迷うことなくなゆみを捉えていた。

 それを見つめれば、なゆみは益々術にかかって氷室から目が離せなくなった。

 暫く見詰め合っていると、氷室は自分が仕掛けた雰囲気に自ら飲まれていってしまった。
 
 上手く行くと思い込んでいた。

 人通りが途絶え、周りには誰もいない。

 見られていてもこの暗さが隠れ蓑になってくれる。

 なゆみの肩を掴んでいた氷室の指先に力が入り、徐々に顔を寄せては、彼女の唇に自分の唇を重ねようとした。

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