テンポラリーラブ物語
 そのまま行けばお互いの唇がくっつくという寸前、なゆみは氷室の胸を両手でどーんと突き飛ばした。

 魔法は寸前でとけてしまい、なゆみは怒った瞳を氷室に向けた。

「もう、止めて下さい、からかうのは」

 その衝撃で氷室も我に返り、ここまでやっても伝わらないもどかしさに、苛立ってしまった。

 受け入られない悔しさで、また悪い癖が出てしまい、ふっと粋がった笑いをしてしまった。

 羞恥心を植え付けられると、氷室は決まってガキのように意地悪く振る舞ってしまう。

「悪かったな、からかうと面白くってさ。まあお前もまんざらでもなかったんだろ」

「いい加減にして下さい! 氷室さん、そういうことするのよくないです。とくに私みたいにふらふらしているような女には刺激が強すぎます。それじゃ私ここで失礼します」

 なゆみはちょうど青に変わった横断歩道に向かって走って去っていった。

 氷室は呆然とその場で佇んでしまう。

 ──あれは本気だったんだ。アーネストラブだったんだよ!

 叫びたい気持ちの中、信号が点滅して赤に変わった。

 目の前を車がひっきりなしに通り、向こう側を歩いているなゆみとの溝をくっきりと見せつけていた。

 追いかけることもできず、氷室は道路の反対側で相手にされない道端に転がる石ころのようにちっぽけなっていた。

 まだまだ、隔たりがありすぎて、ストレートに気持ちをいったところで、コンディションのギャップは埋められなかった。

 一回り離れているおっさんでは、恋愛対象にもされないのかもしれない。

 薄暗い夜空を碌に照らすこともできない街灯の光のように頼りなく、氷室はその場で暫く佇んでいた。

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