テンポラリーラブ物語
 ミナと紀子が着替えるからと控え室に入る。

 なゆみも一緒に後をつけて行った。

 暫く氷室は純貴と二人っきりになった。

「コトヤン、久しぶりに飲みに行かないか」

「いや、遠慮しておく」

「どうしてさ、俺のおごりだぜ」

「ちょっと疲れた」

「何を言ってるんだ。とにかく来い。これは専務の命令だ」

 純貴は思うようにならないと権力を盾にする。

 氷室は駄々をこねる子どもを相手してるみたいで、もやもやしながらも誘いに乗った。

 というより、断るのも面倒臭くなった。

 着替えが終わり、控え室から三人が出てきた。

 なゆみの肩には大きなリュックが背負われている。

「お疲れさん。それじゃまた明日ね」

 専務らしくない軽いノリだったが、権力のあるものには逆らえない弱い立場の従業員たちは、馬鹿丁寧に頭を下げて挨拶する。

 ミナと紀子がシャッターを潜ったとき、なゆみは後をついて出て行くのを一瞬戸惑って、そして気合を込めて振り返った。

「あの、氷室さん、今日はどうもすみませんでした」

「はっ? 何が」

 咄嗟のことに氷室は不思議さを押し出した返事をしたが、それが苛立ってるしぐさにみえたのか、なゆみは一度目を閉じてうつむきながら喋る。

「余計な仕事をさせてしまって、そのせいで疲れさせてしまったのかと思いまして。本当にすみません。明日はご迷惑かけないように頑張ります」

 氷室と純貴の会話は控え室に筒抜けだった。

 それだけではなく、氷室にはいい印象をもたれていないと思ったのだろう。

「おいおい、コトヤン、やっぱり新人にきつくあたったか」

 純貴は氷室の肩をばしっと一発叩いた。

「ちょっと待てよ。専務が誤解してるじゃないか。とにかくそんなの迷惑とは思ってない。初めてで失敗なくできる方が不思議なくらいだ。気にするな。斉藤は初めてにしては頑張ってたよ」

「はい。ありがとうございます。それじゃ失礼します」

 なゆみは少し安心したのか、頬が緩んだ。

 そして一礼をしてシャッターの下を潜っていった。

「へぇ、健気な子だね。親父が気に入った訳だ。面接で素直さがよかったとか言ってたよ。しかしもう呼び捨てしてるんだな。お前にしちゃ珍しいな。いつもだ れだれさんって『さん』づけなのに」

「えっ、俺、呼び捨てにしてた?」

 純貴に言われるまで、氷室は自分でも気づいていなかった。
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