テンポラリーラブ物語
「何も分からないもので、よかったらまた注意してくださいね。美穂さんはきれいだし、仕事もできるからすごく憧れちゃいます」

 美穂はふんとしたものの、それ以上ねちねちなゆみに攻撃しなかった。

 氷室は、なゆみが長いものに上手く巻かれて行くイメージを頭に描きながら、その様子を見ていた。

 自分が過去に上司から注意を受けた時、間違ってないと主張ばかりしてきたことと比べる。

 実際、氷室の方が合理的で結果的に正しかったが、会社では上司に従うのはルールだった。

 まして食って掛かるように反抗することは、ビジネスマナーにも反してご法度だった。

 なゆみの取った行動は氷室には脱帽だった。

 なゆみを見れば見るほど、氷室は気になっていく。

 そこには過去の自分の悪い部分も、ありありと見えて、素直になれなかった心の中の凝り固まったものが一緒に露呈する。

 ぐっとこらえ、時々居た堪れなくなりながらも、それでもなゆみの行動に心揺さぶられてしまう。

 激しい動揺。

 心が無理に洗われていく戸惑い。

 長く閉ざしていた心はそれを素直に受け入れられないために、氷室は心の中で激しく起こる食い違いに葛藤していた。

 そんな時に接客して商品を渡していたなゆみのあの白い手を見てしまい、朝に触れた事を思い出す。

 突然ドキッとしたあの焦り。

 自分が自分らしくなくて、遠のいていく。

 自分だけが動揺し、なんだかそれに腹を立てるような悔しさが現れ、氷室は腹いせになゆみの手をギュッと掴みたくなってしまった。

 本当にその理由だけだろうか。

 すでに氷室はなゆみに振り回されつつあった。

 まだそれに気が付かず、氷室はいつもの自分に戻ろうと必死に無関心を装っていた。
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