テンポラリーラブ物語
 自分でもこのままではダメだと分かっていても、そこから抜け出せない弱い人間に落ちぶれていた。

 昔の氷室を知っている者が見たら、その腑抜け具合に大いに驚いたことだろう。

 自分でもみじめになるほど、氷室はどん底に居た。

 長身でがっちりとした体つきながら、背中を丸めて、疲れた足取りで地下街から一階へと上り外に出る。

 辺りはすっかり暗く、少し冷えた。

 どこからか桜の花びらが、ひらひらと舞うように飛んできた。

 桜が咲ききって、後は散っていく、そんな季節だった。

 寂しさと空腹さが同時にこみ上げながら、ビルとビルの狭間の暗い空を見上げるが、周りの明かりが強すぎて星がはっきりと見えなかった。

 全ての明かりがなくなればたくさんの星が瞬いているのは分かっているが、はっきりと見えないのは、自分のやる気ない心の曇りも邪魔しているように思えた。

 何か食べていこうかと考えていた時、自分の後から楽しそうに語らいながら若い男女のグループが現れた。

 氷室は気にするつもりはなかったが、その語らいから英語が聞こえてきたので、つい振り返ってしまった。

 中には外国人も混じっていて、どうやら英会話学校の先生と生徒達のようだった。

 氷室も働くそのビルには英会話学校が入っているのは知っていた。

 その若者たちは氷室を抜かして、ガヤガヤと騒がしく前を歩いていった。

 氷室は無意識に立ち止まって、ぼんやりとしていると、後ろから慌てて走って来るものがいた。

「待って! Wait!」

 先に歩いていた者達に追いつこうと、氷室にも目もくれずビューンと抜かして走って行った。

 薄暗くてはっきりとは見えなかったが、シルエットからショートヘアの髪型でいかにも元気なボーイッシュな女の子という印象だった。

 ああいう感じの子は職場では絶対見かけることのないタイプで、自分の好みではない女だと、氷室はその時、漠然的に思っていた。
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