嘘つきには甘い言葉を
突然背中に重みを感じて、私の胸の前に血管の浮き出た筋肉質な腕が組まれた。

「なっ……」勢いよく振り返った私の視界は見たくなかった顔で一杯になって、信じられない私は前に向き直る。

「何、これ、ちょっと待って。って、何? 何?」
混乱した頭でとりあえず腕を振り払う。
距離を置くようにのけ反りながら振り返ったら、そこにはやっぱり水無月隼人がいた。

「な、なにか御用デスカ?」女子達の視線が痛くて、思わず声が裏返る。

「ぷっ」噴き出した彼は私のハンバーグに手を伸ばして、ためらいなく口に入れた。指を舐める仕草が妙に色っぽくて、周りの女子達が息を飲む。
あぁ、私のメインがぁ……。

「飯食いに行くか」なんて言われてもハンバーグを食べられた恨みは消えないんだから。「私、学食なんで」冷たく言ったつもりなのに相手は気にする様子もない。

多分噂を聞いて走って来た美紀を見つけて「昨日はサンキュ」なんて女子を骨抜きにする笑顔を向けてる。

「桜ちゃん、大丈夫……?」真剣な和香の声にハッとした。「和香は何も知らないから」水無月隼人のTシャツの袖を引っ張って声を殺す。お願い、余計なことは言わないで。

「和香ちゃん、昨日はお疲れさま。桜、連れてってもいい? 昨日はあんなにいい感じだったのに、こいつ連絡先も教えないで帰るから、迎えに来たんだ。龍之介君に聞くわけにもいかないし、な」目配せされてどきりとする。
昨日から背中に汗をかくことばっかりだ。

「とにかく、後で話すから。今日は行くね」これ以上和香と一緒にいて嘘をつける自信はなくて、仕方なく水無月隼人の話に乗ることにする。一体何考えてんの、この人……。

大学の最寄り駅から電車に乗って5分。乗り換えて10分で街に出る。真昼間の駅のホームは人気がなくて静かだ。

日陰を探して壁際に寄りながら乗り換えの電車を待っていたら、黙って前に立っていた水無月隼人が急に噴き出した。「ぶはっ、女子大ってすっげーな。いや、視線痛かったー」完全に面白がっている響きに無性に腹が立って、振り返った頬目がけて手を上げる。

だけど私の右手は目標物に当たる前に、手首を捕まれて止まった。

「さすがに3回も大人しく殴らせるかっての」
158センチの私と180近いこの人。身長差も力の差も歴然で、右手を振りほどくこともできずに壁に押し付けられる。

自由が利く左手を動かそうとしたけれどそっちも易々と捕まって、無理やり唇を重ねられた。

電車が到着するまでの短くて長い時間、唇を離すことは許してもらえなかった。揺れる電車ではわざと空席を避けてドアの傍に立ち、私を腕の中に囲う。

満員電車ではありがちな光景も、ガラガラの車内では注目の的だ。目を合わさないように盗み見てくる周りの人たちはきっと、バカップルだと思っているんだろう。

「何のつもりですか?」私の質問はすべて無視されて、「腹減ったな、何食べたい? 早くしないとランチの時間終わっちまうよな」なんて自分の言いたいことだけを口にする。

バイト先のカフェで、やっと二人は向かい合った。
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