翔太の青春(イスラエル編)
第1章 人生論~冒険の企て
1988年3月、僕は東京のビルの雑踏をゆっくりと、これから起こることの興奮を必死に心の中に抑えながら歩いていた。飯田橋にあるブリテイッシュ・カウンスイルに入ると、資料室の書類の中で、むさぶる様に英文を追った。僕の名は門馬翔太、34歳独身。つい先月長らく勤めた予備校講師の職を辞し9月から、イギリスのカレッジで留学を計画していた。
 その晩、僕のアパートでは、六人の若者が酒を酌み交わし人生論を闘わせていた。
 「アダム・スミスは国富論で、産業革命後の国民の富について考え、資本家による労働階級の搾取を捉え、社会は国民一人一人に真の幸福を追求することを最も重要な目的とすべきだ、と言っていると思うんだ。」 相馬次郎は、手賀沼のうなぎの蒲焼を肴にコップをあおった。次郎は早稲田大学時代の演劇の仲間で政経学部を8年かけてやっと卒業し、出版社に勤めていたが挫折し退社、今は中高生対象の進学塾を柏市内で経営している。
 窓からは手賀沼と対岸の我孫子の街が一望でき、桜の花が夕陽にその荘厳な姿を映し出している。湖面にはボートを漕ぎ出したカップルや、湖畔で身体を密着させながら青春を謳歌する若者がちらほら照明に浮き上がって見えた。良く見ると、遠くに筑波山がシルエットを作って女体山と男体山が美しくとがっている。
 「好色一代男の生き様は、人生への諦めを悟り色恋に溺れ、次から次に女と関係し、家督や相続なんて全く興味なし、自分一代で食い潰れていく。一見恰好いいがその実、空しい。」 唐沢信は文学部卒後、婦人雑誌編集長になっていた。
 「好色一代女も、主人公の老女は、公卿の息女として生まれたけど、若くして不義密通で勘当され、ヨタカから、遊女の最高峰、大夫まで上り詰めた後、転落し女性が就くことのできるほとんどすべての職業にたずさわりながら,好色遍歴を続ける。井原西鶴の才能には感服しちゃう。でもやっぱり、厭世的な人生論だわ。」 泉薫子は、一升瓶を両手でぐるぐる回して泡立て、ラッパ飲みしてから、隣の信に手渡した。薫子も、文学部卒の元劇団員で今は大学の事務員。ちょうど三十路になったが、結婚の予定は今のところ無し。僕の元カノで、後に一緒にイスラエルでキブツ体験をすることになる。
 「フロイトは、人には無意識の意識があるってね。自我は無意識のエス(欲望)に突き上げられ、上から超自我(良心)の挟み撃ちにあってとか。おいらの欲望は正直だから、いつでも意識してるんよ。」 喜屋武温は、元劇団青い田んぼの座長で、解散後はバイトをしながら、パントマイムをイベント会場でやったりしている。
 「精神分析入門では、人は周囲の人々の賞
讃を得るために、欲望を文化的活動に昇華させていると言ってるね。」 僕は、回ってきた一升瓶を隣に渡した。
 「私のゼミの浜教授は、幸福論の授業でこう言ってたわ。自分の幸せを考えても、なかなか幸福にはなれない。愛する人の幸せを願うことにこそ、本当の幸福があるって。私にはまだ解らないわ」 長塚照子は、薫子の同郷で幼なじみ、日本女子大で心理学を専攻し、今は東葛飾で高校教師をしている。
「翔太は留学先決まったの?」
 「今日、良さそうなカレッジ3校選んで、学校案内の送付依頼を郵送したところ。ロンドン郊外だよ。」
 「学費や生活費は高いの?」
 「公立の3学期生で、1学期350ポンド位。8万4千円位かな。ホームステイ先も紹介していて、2食付で週1万円位。貯金は200万円あるから1年は大丈夫だよ。」
 「学校案内見てみたいわ。私も興味あるから。」
 「ケンブリッジ大学の英語検定コースで外国人向けのクラスでね。夏期休暇クラスもあるみたいだよ。」 
 「ところで翔太、9月まで半年近くあるけど、何かしないのか?」 次郎が尋ねた。
 「カレッジが決まってから、学生ビザの取得で英国大使館に2回行くし、いろいろ準備ができたら、3ヶ月ほどギリシャ、エジプトの古代文明を見てこようかな。8月後半には渡英するつもりだよ。」
 「凄い。でも費用は大丈夫?」 薫子がほろ酔い加減で尋ねた。
 「格安航空券でアテネ往復12万円位、ゲストハウスのドミトリーで1泊平均500円位だよ。」 僕は、洋書店で購入した分厚いガイドブックを仲間に見せた。
 「タイのコサムイや、プーケット、バリ島など東南アジアを旅行したけど、西洋の若者は皆ロンリー・プラネットか、アメリカ大学出版のレッツゴーを持っていたよ。安宿や、人気のレストラン、それに、シュノーケリング、トレッキングなどの情報が詳しく載っていて日本のダイヤ社の地球の歩き方じゃ、とてもかなわないよ。」
 「本当だねえ。おいらもこないだフィリッピン、パナイ島からボラッカイ島行って来たさ。電気が無くて、ジェネレーターで発電してたけど、ロマンチックな砂浜に夕陽が沈み、椰子の葉に丸い実がついて空に映えているのを眺めていると、自然の偉大さと、人生の喜びを感じてしまったさ。沖縄と違うのは世界中から若者が集まっているとこさ。何て言うたって物価が全然違うしねえ。」 ほんのり照らす行灯風の明かりに温の生やしたての顎鬚が映っている。
 「インドは1日1米ドルで暮らせるとこだよ。ゴアのアンジュナビーチには欧米から来たヒーッピーの溜まり場があってね。日本人も何人かいたけど。今度、来月号の編集で取り上げることになったよ。」 信は、真直ぐ伸びたビートルズカットの中に、女性的な瞳を光らせていた。
 僕は、手賀沼の豊かな湖面にゆらりと光るビルの夜景を見ながら、酒をすすった。心は千年の悠久の時を遡った。つわもの達が、ここを志賀の京になぞって、大井津として多くの帆船が物資や人を乗せて浮かんでいた時。利根川は今とは大きく流れを変え、印旛沼、手賀沼から、江戸湾へ繋がっていた。
 僕の実家は木更津にあり、先祖は江戸時代には海運業をやっていたらしい。五大力船と言われる帆掛け舟で江戸に米や野菜、蒔き炭、菜種油、干鰯、麻、絹、タバコの葉などを運び、着物の反物、刃物、食器、和紙などの製品を持って帰った。門馬家は平将門の遠い縁者になるらしく、成田山新勝寺にはお参りしないことになっている。西暦939年天慶二年、将門は関八州を制圧し、桓武天皇より下った王であるとして、ここ手賀沼周辺を京としたらしい。
 気がつくと、もう仲間は皆帰ったようだ。僕は一人で布団の中にいた。
   
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