今ならやり直せる
ドアをノックしながら「若葉―っ」と声をかける。

ドアが開き、剛は手を引っ張られる。

「何だよ。こぼれるじゃないか」水とコップをテーブルに置く。

「ありがとう。今日、遅番だよね。朝まで居るんだよね。この部屋で仮眠とれば?」
水を注ぎながら言う。

「何言っているんだ。俺は仕事だぞ。それにお客さんの部屋に泊まったら、即刻首だ」

「えー、つまんない。若葉、一人で眠れない。寝付くまで一緒にいて」と甘えた声を出す。

「そんなことより、お前、むやみにフロントに電話をするな。これからは、ルームサービスを頼むときも、俺の携帯に電話しろ。迷惑だ。他のお客さんもいるんだぞ」

怒った口調ではなく、優しくたしなめる。

「はーい」と手を挙げ、悪びれる様子もない。

強く叱ると、昔のように何をしでかすかわからない。

若葉は二十歳で大学生の頃、男に騙されて酷い目にあった。

世間知らずのお嬢さんが、よく引っ掛かるパターンなのだが、本人としては真剣だった。

顔立ちも可愛らしく、男には不自由していなかったし、付き合った男は、いつも下僕のように扱い若葉の我が儘を聞いてきた。

しかし、クラブで会社をしているという男と知り合い、遊ばれてしまったのだ。

会社といっても、どこかのボンボンで、親がお金を出資し社長という肩書きだけの中身のない男だ。

今まで、何でも言うことを聞いてくれる男ばかりだったので、少し冷たく素っ気ないタイプが新鮮だったのだろう。

若葉はこの男に入れ込み、男はその気持ちを利用し、店の装飾品や自分の私物を若葉のカードで買わせた。

若葉のカードは親の口座からの引落しなので、自分で使った感覚もなく、どんどんつぎ込んでいった。

その額が数百万になった頃、流石の親もそれに気づき、若葉を叱った。

その頃には、男にも振られ、連絡すら付かない状態で、人生で初めて「騙される」経験をしたのだった。

その上、甘やかし放題だった両親が、若葉を責めたため、それに耐えられなくなって、手首を切った。

自殺未遂という大それた物ではなく、ただのためらい傷で、死ぬ気など一ミリもなかった。

若葉としては、これ以上、自分が責められないように起こした行動だ。

両親は、医者から「娘さんは死ぬ気はありませんので大丈夫です」と聞かされたが、親としては、今度責めたら、本気で死ぬかも知れないと恐れ、逆に腫れ物を扱うように、若葉と接した。
若葉の作戦は成功したのだ。

剛も入院先にお見舞いに行ったが、その時には若葉はケロッとしており、何事もないような顔してゲームをしていた。

「若葉、傷物になったから、つーちゃんが引き取って、結婚して」とこの頃から言い出したのだ。

若葉自身、心の奥で男が怖くなったのだろう。俺なら安全だと思っているらしい。

そんな事があってから、気に入らないと何をするかわからないため、従業員に迷惑を掛けないように、なるべく剛が対応するようにしていた。


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