今ならやり直せる
柴田さんとデートの日、駅前のロータリーで待っていると、一台の車がやってきた。

運転席の窓を開けて

「華さーん!」と叫んでいる。

紺色のコンパクトな大衆車で「柴田さんらしいな」と少し安堵する。

助手席に乗り込むと

「はい。さっきコンビニで買ったから飲んで」とコーヒーのパックを渡してくれる。

「ありがとう」遠慮無く受け取る。

車内は清潔に保たれており、余計な物は置いておらずスッキリとしている。

「このCDどう?」と顔の前に出されたので、受け取りパッケージを見ると“90年代ヒットメドレー”とあり、思わず笑ってしまう。

「え!?笑うところ!?」

「ううん、そんなんじゃないよ」と慌てて言っても

「いや、ダサイとか思ったでしょ?」車をゆっくり走らせながら、ちらりとこちらを見ている。

「思ってないよ。かけようよ」

CDを奪い取って、オーディオに突っ込む。

軽快なポップスが車内に響き、思わず

「懐かしい」と声をあげる。

「ほらね」と笑う。

こういうやり取りはいつ振りだろう。

夫との車内は、全て夫が主導権を握り、曲もラジオも好みを聞かれたことはなく、飲み物を渡されたこともない。

「ねぇ、華さん。僕のことは剛(つよし)って呼んでよ」

いきなり呼び捨てもどうかと思い

「剛君でいい?」

「うーん、君か、じゃあ、華さんも華ちゃんね。決定」

可愛らしい笑顔でこちらを向く。

夫に名前を呼んで貰ったことがないのを思い出す。

短い期間は「三島さん」だったし、結婚してからは「お前」「ちょっと」「おい」で、それも不満に感じていた。

でも、私だって夫のことを名前で呼んだことがないので、お互い様だ。

車内に流れる曲は、次々と懐かしいメドレーを連発し、二人でこの頃何をしていたという話で大盛り上がりだった。

車は高速道路を上がり、一時間ほど走り、休憩する為にサービスエリアに着いた。

「トレイ休憩の時間です。十分したら戻って下さい」と剛君は、ふざけながら車を降り、お手洗いへ走り去った。

本当に楽しい時間で、気を遣わなくて良いし、心地よい。

男性と会話して笑い合うのも久し振りな気がする。

高台のウッドデッキから、田舎の町が見下ろせるのを見つけて、柵に手をかけて眺める。

天気が良く気持ちよく、深呼吸していると、後ろから

「こら、集合時間過ぎているぞ。罰としてフランクフルトを買ってきなさい」と言うと同時に小銭を渡される。
笑いながら受け取り、二人でフランクフルトの屋台へ歩く。

「剛君って、本当に面白い人だね」

「それは、華ちゃんと居るからだよ。人はね、好きな人と一緒にいると楽しくなるの」

心の中で「早く既婚者だと言わなければいけない」と思うが、楽しければ楽しいほど、黙っていたいと言う気持ちが強くなる。

我が儘だけど、せめて、今日だけは楽しい時間を過ごしたい。

フランクフルトをかじりながら車に戻り、目的地を目指す。

景色は田舎の風景になり、道が舗装されていない所をひた走り、小さな小道を抜けて、看板もなにもない建物の前に到着した。

その横には、たくさんのビニールハウスが建ち並び、人もまばらに歩いている。

「着いたよ」

車を降りると剛君が説明し始めた。

「ここはさ、草花の好きな人がやっているブログを見て知ったんだ。オーナーのご主人は植物が好きで、昔は卸業もやっていたんだけど、去年亡くなって廃業したんだ。その奥様が大量の草花を処分するのは可愛そうだからって、個人で育てているのだけど、奥様も高齢だから、体力的にしんどいらしくて。それで少しずつ色んな方に譲るつもりで、知り合いに頼んで、そのことをネットに流したんだ。それを見て、ここへ来た人達が、この場所を見て、無くしてしまうのは勿体ないって事で、ボランティアで交代し、草木の世話をしているんだよ」

確かに、ビニールハウスの中は、綺麗な花が溢れ、大きな観葉植物も多数あり、その奥には花畑が広がっている。
感心して見ていると

「それでね、ボランティアの方達が話し合って、また卸業を再開したんだ。その儲けは、もちろん奥様に渡すのだけど、その一部を運営費にして、街中に花を植えたり、老人ホームやその他の施設にお花を寄付したり。奥様も収益の殆どは寄付しているみたい」

ビニールハウスの中には、若者が数人いて手入れをしている姿が見える。

「僕もSNSでこれを知って、時々手伝いに来ているんだ。草木の世話をしている時間は、ストレスが発散されるしね」

私も家の中では、いくつかの草木を育て、それの世話をしている時が、至福の時間になっている。

心の中に熱い物が込み上げる。

「さ、まずは、園内を見学しよう。案内するよ。とても綺麗なところだからさ」

自然に手を取られて歩き出す。

園内は、卸業をやっていただけあって、整然とカラー別に花々が並んでいて綺麗なグラデーションの世界を作り出している。

観葉植物も珍しい品種や、育てるまでに数年かかるくらいの大型の物あり、これを見た人達は、ここを無くすのは勿体ないと思うのは当然だろう。

スマホで撮影しながら、うきうきした気分で見学させて貰った。

見学の途中で
「柴田、来ていたの?」と剛君が何度か声をかけられており、よくここに来ていることがわかる。

園内を一通り見て回ると

「良い所でしょ?」と聞かれたので

「とっても。その辺りの植物園には負けないわね」と正直に答えると

「やっぱ、華ちゃんを連れてきて良かった」

少年のような微笑みを見せる。

「あのね、あっちの花畑なんだけどさ、少し肥料を与えたいんだよ。いいかな?手伝って貰って」
「勿論よ」

手を繋いで、花畑へ向かう。

畑作業をしていると、こんな日常を送りたいと心から思う。こういう作業は全く苦にならないし、自分が本当にこういう事が好きなのだと実感する。

「華ちゃん、手つきいいね。筋がいい」と笑わせる。

それも、剛君みたいな人と、こんな日常を送れるのなら、貧しくても構わないとさえ思える。物質的に裕福を求めているのではなく、心の豊かさを求めているのだ。

今の生活は、物質的には裕福だが、心は貧しくて乾いている。あれで、物質的にも貧しければ、きっと今まで続いてはいない。自分が打算的な人間だと気付かされる。

「さ、ランチにしよう」と衣服の土を払いながら剛君が立ち上がる。

入口にあった建物に入っていくと、おにぎりや、美味しそうなおかずがズラリと並んでいる。

「美味しそう!」と思わず口から出る。

「これらは、オーナーの奥様が作ってくれているんだ。ボランティアに来る人なら、誰でも食べて良いから、遠慮しないで」とお箸とお皿を渡される。

いくつかお皿に載せると

「こっち」と言って剛君が歩いていくので後ろをついていく。

そこは建物の外で、テーブルやベンチが並べてあるテラス席のような場所だった。

「このテーブルやベンチも、ボランティアの仲間が作ったんだ。なかなかでしょ?」

素人とは思えない出来で、お洒落に仕上がっている。

「凄いね。それに外で食べると更に美味しいね」

一流店で好きでもない人と無言で食事をするよりも、愛情の籠もったおにぎりを好きな人と食べる方が数倍美味しい。結婚している自分が無性に悲しい。

それに、園内で何度か顔見知りに声をかけられる度に申し訳ない気持ちもなった。

「柴田!おっ、彼女?」と言われ

「まだだよ。これからだよ」と答える剛君を見たからだ。

デートに来なければ、ここまで自分の気持ちが傾くことはなかっただろう。諦めるのが難しいくらいの感情になるなんて、思っても居なかった。

軽い気持ちでデートに来た自分が馬鹿だった。それに相手を傷つけてしまうかも知れない。

「華ちゃん、疲れた?」表情を汲み取り、話しかけてくれる。剛君らしい。

「まさか、私、草花の作業をしていると、逆にどんどん元気になるの」と笑ってみせる。

「じゃあ、ここのボランティアのメンバーに決定ね」

その笑顔を見るのが苦しい。

お昼からも、明日の出荷の作業をしたり、鉢の植え替えをしたりと身体を動かしていることがとても心地ら良く、気付いたら夕方になっていた。

「華ちゃん、そろそろ戻ろうか」と剛君が言うまで薄暗くなっているのも気付かなかったくらいだ。

帰りの車の中で

「なんかさ、手伝わせちゃってごめんね」と申し訳なさそうな顔をする。

「そんな。とても楽しすぎて夕方になっているのも気づかなかったのよ。本当にありがとう」その後「また来たい」という言葉を飲み込んだ。

「良かった。華ちゃんとは、話も合うし趣味も合う。本当は初デートとかって、お洒落なお店にでも行くのだろうけど、おにぎりだし。嫌われたかと思ったよ」

夫とのデートを思い出し、自分の愚かさに気付く。高級料理店に連れて行って喜ばすことは簡単だ。そうではなく、相手の好きな物を見極めて、更に自分も楽しめるデートをする事が重要なのだ。

もう、既婚者であることを言わなくてならない。

何度も話しかけようとするが、言い出せない。

そう思っている内に、最寄りの駅に着いてしまう。

「今日は、付き合ってくれてありがとう」綺麗な瞳がこちらを見ている。

「こちらこそ、楽しかった」

「また、誘ってもいい?」優しい口調に涙が出そうになる。

「うん」

返事をしてしまった自分自信に驚き、慌てて車を降りる。

剛君は窓を開けて、満面の笑顔で手を振っている。

あの笑顔を傷つける気なのか、あんないいひとに嘘をつき続けるのか、騙していると思わないのか、そう考えると帰り道、涙が溢れた。


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