今ならやり直せる
今日は初めて剛の両親と会うことになった。
剛はもっと早く会わせたかったらしいが、両親とも忙しくスケジュールが合わなかった。
軽くクラクションの音が聞こえる。窓を開けてみると、剛の車が停まっているのが見える。
淡い色のワンピースに、桜色のストールを掛けて鏡の前に立つ。
「これでいいかな?」
車の扉を開けて、助手席に乗り込むと
「おーっ、華、可愛い」と剛が嬉しそうに言うので照れてしまう。
車は都内を抜けて郊外へと走る。
「緊張してきた」思わず華の口から本音が出る。
笑いながら剛は
「大丈夫。うるさい両親じゃないからさ。俺が婚約者連れてくるっていったら喜んでいたし」
久々の緊張で口数が少なくなる。
一回目の結婚の時は、夫と義母と夕ご飯を食べに行ったのが最初だった。
その時は妊娠が発覚していたので、夫が義母にどう話すかの方に気持ちがいってしまい、姑に会うという感覚はあまりなかった。
義母はあっさりと、結婚と妊娠について
「おめでとう」と言って何の反対も、華に対して質問もなかった。
しかし、今回は少し違う。
世間で言うと私は“バツイチ”だ。初婚の息子と結婚すると言えば、反対される可能性もある。それは昨日から覚悟してきた。
そんな硬い表情を見て剛は
「深刻な顔しないで。俺から、華には結婚歴があるってもう話してあるし」
それは、剛から聞いていた。
私が会いやすいように、前もって耳に入れておいて両親から理解も得ていた。
車はスピードを落として、門の前に停車した。
華が顔を上げると、そこには迎賓館のような建物がそびえ立っている。
「ん?」
不思議そうに眺めていると
「これ、俺んち」
血の気が全身から引いた。
何この家? ひょっとしてお坊ちゃま?
頭の中が整理できないまま、門が自動的に開いた。
門の向こうには、ドラマで見る政治家のお屋敷の様な日本庭園が広がっている。
驚いている華をよそに車は奥へ進んでいく。
大きな屋敷の横に車を停めると、初老の男性が助手席の扉を開けてくれた。
その男性は剛に向かって
「おかえりなさいませ」と言い、剛は
「治郎(ジロウ)さん、ありがとう」と笑顔で話している。
一人取り残され焦るが、もうどうして良いかわからず立ち尽くす。
「こちら、三島華さん。俺の婚約者」と紹介してくれたので、慌てて頭を下げて挨拶する。
「これは、お会いしたかったです」と言われて恐縮する。
「うちの執事の治郎さん」と紹介してくれるが、頭の中は“執事”と言う単語に占領されて、あたふたとしてしま
う。
屋敷の方へスタスタと歩いていくので、慌てて小走りで着いていく。
「ねぇ、剛、執事って!」と小声で聞く。
「いわゆる、お手伝いさんかな。でも事務的なこともするし、父親の秘書みたいなものかな。俺が小さい頃は勉強
も教えて貰ったんだ」
さらりと答えるが頭に入ってこない。
お手伝い? 秘書? 処理しきれず、単語ばかりが耳についてしまう。
未だに“執事”という言葉も処理できていない。
恐ろしく広い玄関に足が震えてきた。
「只今帰りました」
と元気よく剛が言うとエプロン姿の女性が
「おかえりなさいませ」と玄関先に現れる。
「初めまして。三島華と申します。お邪魔いたします」と頭を下げると、女性は
「奥様と旦那様は奥におられます」と言われ、剛のお母さんではないと初めて気付く。
「お手伝いの文美(ふみ)さん」と剛は紹介してくれるが、まだお手伝いさんがいるのかと、ただ驚くばかりで返事も出来ない。
「どうぞ」と中へはいることを促され、恐る恐るスリッパを履いて剛の後ろを着いていく。
長い廊下は寺院の回廊のようになっていて、日本庭園が望め旅館のような景色だ。
廊下をしばらく歩くと突き当たりにリビングがあり、長いソファーと白いテーブルが置いてある。
ソファーには、両親であろう上品そうな夫婦が座っている。
「初めまして。三島華と申します。お邪魔いたします」と先程の台詞をもう一度言う。
母親は
「まあ、華さんね。いらっしゃい。さぁ、ここへ掛けて」と緊張をほぐすように優しく言ってくれた。
しかし、すぐには座る勇気はなく昨日買って置いた手みやげを渡し突っ立っていると
「座ろう」と剛が肩を叩いてくれる。
リビングのラグはふかふかで、いかにも高級そうな柄で、壁には有名であろう絵画が飾られている。
絵に描いたようなお屋敷に、有る意味騙されたという気がして、剛君の方をちらりと見る。
その視線に気付き、手を顔の前に持って行き謝るポーズをして
「ごめん」と小さく言った。
お手伝いさんが、コーヒーとお菓子を持って来てくれて四人で顔を合わす。
お父さんが口火を切る。
「華さん、こんな奴でいいんですかね? 苦労しますよ。仕事はまだ甘いしホテルを継ぐのはまだ任せられんし」
と笑う。
ホテルを継ぐ? は? きょとんとした表情に母親は気づき
「剛、まだ言っていないの?」という言葉に
剛は申し訳なさそうな顔をして
「ああ」と答える。
父親が説明してくれた。
剛が今働いている東京プレジデントホテルは、父親が経営しており母親も役員である。いずれは剛に社長職を譲り
たいと思っているということだった。
事態を飲み込めない華を見て、母親が助け船を出す。
「ごめんなさいね、華さん。この子、自分がホテルの息子だということを隠しておきたかったのよ。私は華さんの話を聞いたときから、ちゃんと話しなさいと言ったのだけど」
それよりも、あのホテルはあそこにあるだけではないのを華は知っている。いや、都内の人間なら誰でも知っている有名ホテルなのだ。
確か、国内にも同じ系列のホテルは数件有るし、海外にもあるはずだ。社長の名前は柴田明男というのは有名だが、まさか剛の柴田と同じなんて誰が想像するだろう。
一般的な名前過ぎて、全く気付かなかった。
父親は不安そうな華を見て
「心配しないで。まだ剛はホテルを継げる手腕はない。これから将来任せられるように鍛えるから、華さんは支えになってくれればいい」
心強いお言葉だが、素直に“はい、わかりました”と言える心境ではない。
剛も流石に悪いと思ったのか
「華、ごめんね。騙すつもりはなかったんだけど、俺自身を見て貰いたかったんだ」と申し訳なさそうにするので
「ううん、いいの。ちょっと驚いただけ」
その後、両親は優しく接してくれて、剛の子供の頃の話や、大学生の時のチャラ男ぶりも話してくれた。
今度、華の両親とも会いたいと言われたが、ごく平凡な家庭の両親が、この大会社の社長と会わせると思うと複雑な気分になる。
そういえば、前に剛の幼なじみという女性が
「つーちゃんとは釣り合わない」と言ったのは、こういう事だったのかと今更ながらに理解した。
そうして、どうしても引っ掛かっている事を両親に詫びる。
「すみません。私、一度結婚に失敗しています」と言うと義母は
「そんなこといいのよ。人生は色々経験している方がいいのよ。気にしないで」と言ってくれて、剛の母親らしいと感激した。
それを聞いて父親も続ける。
「華さん、私はこの会社を一代で大きくした。ここまで大きくする間に何度も失敗し、その失敗が今に繋がっている。自分で言うのは何だが苦労は人一倍してきた。苦難や苦労を一つでも多く乗り越えてきた人間の方が、他人の痛みもわかるし、他人を許す力も備わるんだよ。息子と結婚したら苦労も多いと思う。でも華さんなら、息子を支えられると思っている。結婚の失敗ぐらいどうってことない。いや、それは失敗じゃない。経験だ。どちらにしても、これからの方が大変だから、よろしく頼む」と華の方を向いて軽く頭を下げた。
華は慌ててソファーから立ち上がり、深々と頭を下げた。
母親は続ける。
「自分の息子を褒めるわけではないですけど、剛は小さい頃から明るい子でね。いつも冗談ばっかり言って。だから、これから二人の前に苦難があったとしても、この子なら、この明るさで足元を照らしてくれて少しは歩きやすくしてくれると思うわ」
華はいつも明るく接してくれた剛を思い出して、その言葉に強く共感する。
自分が落ち込んでいるとき、寂しいときに冗談を言って笑わせてくれた。そしてそれにいつも救われてきた。そしてその剛を見る度に、自分も周りを明るくする人になりたいと思うようになっていった。
そんな感動している余韻を壊すように
「明るいだけで馬鹿みたいじゃん」と剛が言う。
その言葉で、四人で笑う。
その後、剛が過ごした部屋を見せて貰う。
中流家庭に育った華にとっては、広すぎる部屋に驚きを隠せない。
これじゃ、まるでうちのリビングじゃないと思いながら、見渡すと剛の幼い頃の趣味が伺える。
車のプラモデルや、植物図鑑、天体の本が置いてある。
それらを興味深く見ていると
「華、ごめんね。驚いたよね。俺、いつからか“お金持ち”って言われるのが嫌でさ。何でも手に入るんだろうと言われて反発した。大学を卒業したら、すぐに親父のホテルで働くことになっていたんだけど、自分の力で仕事を探したくて。それで別の会社にわざと就職した。だけど、数年間、社会で働いてわかったんだ。きっと逃げていたってね。親父の元で働く方が辛いことわかっていたんだよ。親父も他の従業員の手前、息子に職場では甘い顔を見せられないし、周りが納得できるくらいにならないと、簡単に継がせることも出来ない。今は、色んな部署を渡り歩いて修行中なんだ。フロントもやるし、客室も清掃も、事務だってする。大変だけど、他の従業員に認めて貰わないとね。いつまでも逃げていても仕方ない」
あまりの環境の違いに、理解しろというのは無理だけど、他人が思っている以上に、大きな会社を継ぐというのは大変なことだろうということはわかる。
それに、あのホテルの息子とわかれば、周りの態度も変わるだろう。自分だって、初めからそれを知っていたら、どうだったのだろうと考える。
剛の本質まで見ず、その前に恐れ多くて近寄ることさえしなかったかも知れない。
それか、自分が卑屈になって遊ばれていると勘違いしたかも知れない。
何も知らなくて良かったとも思える。
剛は続ける。
「自慢じゃないけど、俺、今までモテてきたし、女に不自由したことなかった。でも、それは親父の肩書きにぶら下がった俺だったからで、それがなければ誰も相手しなかったと思う。自分自身の肩書きにしなければ意味がないと思ったんだ。それに、肩書きや年収で判断する女性はもう懲り懲りだしね。素の自分を見て欲しかった。だから黙っていたんだ」
二階の部屋からは、春の花がちらほら咲いている庭が見える。
その後、人生で一番忙しいときを過ごした。
両親の顔合わせ、結納、結婚式の準備、新婚旅行の準備、引っ越し等、休む暇さえなかった。
剛と結婚することが、こんな大事になるなんて夢にも思わず、両家の両親に手伝って貰いながら結婚式まで漕ぎ着けた。
そして、八月七日、華の誕生日が二人の結婚記念日となった。
結婚式には、各界の著名人が大勢参加し、その式場に飾られた花は、華自身がコーディネイトしたもので、ブーケも手作りだ。
二人が座る真後ろの壁には、直径1メートル程もある大きな花のリースが飾られている。夏の代表的な数種類の花で造られており、そこには小さく“木田ファームより”と書かれてある。
憧れていたウエディングドレスを着て、大好きな剛の横に立つ。
剛は照れくさそうにしている。
会場には、ふて腐れた若葉の姿もある。
剛はそっと華の耳元でつぶやく。
「やっぱり、華は運命の人だった」
人生はいつだって、誰だってやりなおせる
END
剛はもっと早く会わせたかったらしいが、両親とも忙しくスケジュールが合わなかった。
軽くクラクションの音が聞こえる。窓を開けてみると、剛の車が停まっているのが見える。
淡い色のワンピースに、桜色のストールを掛けて鏡の前に立つ。
「これでいいかな?」
車の扉を開けて、助手席に乗り込むと
「おーっ、華、可愛い」と剛が嬉しそうに言うので照れてしまう。
車は都内を抜けて郊外へと走る。
「緊張してきた」思わず華の口から本音が出る。
笑いながら剛は
「大丈夫。うるさい両親じゃないからさ。俺が婚約者連れてくるっていったら喜んでいたし」
久々の緊張で口数が少なくなる。
一回目の結婚の時は、夫と義母と夕ご飯を食べに行ったのが最初だった。
その時は妊娠が発覚していたので、夫が義母にどう話すかの方に気持ちがいってしまい、姑に会うという感覚はあまりなかった。
義母はあっさりと、結婚と妊娠について
「おめでとう」と言って何の反対も、華に対して質問もなかった。
しかし、今回は少し違う。
世間で言うと私は“バツイチ”だ。初婚の息子と結婚すると言えば、反対される可能性もある。それは昨日から覚悟してきた。
そんな硬い表情を見て剛は
「深刻な顔しないで。俺から、華には結婚歴があるってもう話してあるし」
それは、剛から聞いていた。
私が会いやすいように、前もって耳に入れておいて両親から理解も得ていた。
車はスピードを落として、門の前に停車した。
華が顔を上げると、そこには迎賓館のような建物がそびえ立っている。
「ん?」
不思議そうに眺めていると
「これ、俺んち」
血の気が全身から引いた。
何この家? ひょっとしてお坊ちゃま?
頭の中が整理できないまま、門が自動的に開いた。
門の向こうには、ドラマで見る政治家のお屋敷の様な日本庭園が広がっている。
驚いている華をよそに車は奥へ進んでいく。
大きな屋敷の横に車を停めると、初老の男性が助手席の扉を開けてくれた。
その男性は剛に向かって
「おかえりなさいませ」と言い、剛は
「治郎(ジロウ)さん、ありがとう」と笑顔で話している。
一人取り残され焦るが、もうどうして良いかわからず立ち尽くす。
「こちら、三島華さん。俺の婚約者」と紹介してくれたので、慌てて頭を下げて挨拶する。
「これは、お会いしたかったです」と言われて恐縮する。
「うちの執事の治郎さん」と紹介してくれるが、頭の中は“執事”と言う単語に占領されて、あたふたとしてしま
う。
屋敷の方へスタスタと歩いていくので、慌てて小走りで着いていく。
「ねぇ、剛、執事って!」と小声で聞く。
「いわゆる、お手伝いさんかな。でも事務的なこともするし、父親の秘書みたいなものかな。俺が小さい頃は勉強
も教えて貰ったんだ」
さらりと答えるが頭に入ってこない。
お手伝い? 秘書? 処理しきれず、単語ばかりが耳についてしまう。
未だに“執事”という言葉も処理できていない。
恐ろしく広い玄関に足が震えてきた。
「只今帰りました」
と元気よく剛が言うとエプロン姿の女性が
「おかえりなさいませ」と玄関先に現れる。
「初めまして。三島華と申します。お邪魔いたします」と頭を下げると、女性は
「奥様と旦那様は奥におられます」と言われ、剛のお母さんではないと初めて気付く。
「お手伝いの文美(ふみ)さん」と剛は紹介してくれるが、まだお手伝いさんがいるのかと、ただ驚くばかりで返事も出来ない。
「どうぞ」と中へはいることを促され、恐る恐るスリッパを履いて剛の後ろを着いていく。
長い廊下は寺院の回廊のようになっていて、日本庭園が望め旅館のような景色だ。
廊下をしばらく歩くと突き当たりにリビングがあり、長いソファーと白いテーブルが置いてある。
ソファーには、両親であろう上品そうな夫婦が座っている。
「初めまして。三島華と申します。お邪魔いたします」と先程の台詞をもう一度言う。
母親は
「まあ、華さんね。いらっしゃい。さぁ、ここへ掛けて」と緊張をほぐすように優しく言ってくれた。
しかし、すぐには座る勇気はなく昨日買って置いた手みやげを渡し突っ立っていると
「座ろう」と剛が肩を叩いてくれる。
リビングのラグはふかふかで、いかにも高級そうな柄で、壁には有名であろう絵画が飾られている。
絵に描いたようなお屋敷に、有る意味騙されたという気がして、剛君の方をちらりと見る。
その視線に気付き、手を顔の前に持って行き謝るポーズをして
「ごめん」と小さく言った。
お手伝いさんが、コーヒーとお菓子を持って来てくれて四人で顔を合わす。
お父さんが口火を切る。
「華さん、こんな奴でいいんですかね? 苦労しますよ。仕事はまだ甘いしホテルを継ぐのはまだ任せられんし」
と笑う。
ホテルを継ぐ? は? きょとんとした表情に母親は気づき
「剛、まだ言っていないの?」という言葉に
剛は申し訳なさそうな顔をして
「ああ」と答える。
父親が説明してくれた。
剛が今働いている東京プレジデントホテルは、父親が経営しており母親も役員である。いずれは剛に社長職を譲り
たいと思っているということだった。
事態を飲み込めない華を見て、母親が助け船を出す。
「ごめんなさいね、華さん。この子、自分がホテルの息子だということを隠しておきたかったのよ。私は華さんの話を聞いたときから、ちゃんと話しなさいと言ったのだけど」
それよりも、あのホテルはあそこにあるだけではないのを華は知っている。いや、都内の人間なら誰でも知っている有名ホテルなのだ。
確か、国内にも同じ系列のホテルは数件有るし、海外にもあるはずだ。社長の名前は柴田明男というのは有名だが、まさか剛の柴田と同じなんて誰が想像するだろう。
一般的な名前過ぎて、全く気付かなかった。
父親は不安そうな華を見て
「心配しないで。まだ剛はホテルを継げる手腕はない。これから将来任せられるように鍛えるから、華さんは支えになってくれればいい」
心強いお言葉だが、素直に“はい、わかりました”と言える心境ではない。
剛も流石に悪いと思ったのか
「華、ごめんね。騙すつもりはなかったんだけど、俺自身を見て貰いたかったんだ」と申し訳なさそうにするので
「ううん、いいの。ちょっと驚いただけ」
その後、両親は優しく接してくれて、剛の子供の頃の話や、大学生の時のチャラ男ぶりも話してくれた。
今度、華の両親とも会いたいと言われたが、ごく平凡な家庭の両親が、この大会社の社長と会わせると思うと複雑な気分になる。
そういえば、前に剛の幼なじみという女性が
「つーちゃんとは釣り合わない」と言ったのは、こういう事だったのかと今更ながらに理解した。
そうして、どうしても引っ掛かっている事を両親に詫びる。
「すみません。私、一度結婚に失敗しています」と言うと義母は
「そんなこといいのよ。人生は色々経験している方がいいのよ。気にしないで」と言ってくれて、剛の母親らしいと感激した。
それを聞いて父親も続ける。
「華さん、私はこの会社を一代で大きくした。ここまで大きくする間に何度も失敗し、その失敗が今に繋がっている。自分で言うのは何だが苦労は人一倍してきた。苦難や苦労を一つでも多く乗り越えてきた人間の方が、他人の痛みもわかるし、他人を許す力も備わるんだよ。息子と結婚したら苦労も多いと思う。でも華さんなら、息子を支えられると思っている。結婚の失敗ぐらいどうってことない。いや、それは失敗じゃない。経験だ。どちらにしても、これからの方が大変だから、よろしく頼む」と華の方を向いて軽く頭を下げた。
華は慌ててソファーから立ち上がり、深々と頭を下げた。
母親は続ける。
「自分の息子を褒めるわけではないですけど、剛は小さい頃から明るい子でね。いつも冗談ばっかり言って。だから、これから二人の前に苦難があったとしても、この子なら、この明るさで足元を照らしてくれて少しは歩きやすくしてくれると思うわ」
華はいつも明るく接してくれた剛を思い出して、その言葉に強く共感する。
自分が落ち込んでいるとき、寂しいときに冗談を言って笑わせてくれた。そしてそれにいつも救われてきた。そしてその剛を見る度に、自分も周りを明るくする人になりたいと思うようになっていった。
そんな感動している余韻を壊すように
「明るいだけで馬鹿みたいじゃん」と剛が言う。
その言葉で、四人で笑う。
その後、剛が過ごした部屋を見せて貰う。
中流家庭に育った華にとっては、広すぎる部屋に驚きを隠せない。
これじゃ、まるでうちのリビングじゃないと思いながら、見渡すと剛の幼い頃の趣味が伺える。
車のプラモデルや、植物図鑑、天体の本が置いてある。
それらを興味深く見ていると
「華、ごめんね。驚いたよね。俺、いつからか“お金持ち”って言われるのが嫌でさ。何でも手に入るんだろうと言われて反発した。大学を卒業したら、すぐに親父のホテルで働くことになっていたんだけど、自分の力で仕事を探したくて。それで別の会社にわざと就職した。だけど、数年間、社会で働いてわかったんだ。きっと逃げていたってね。親父の元で働く方が辛いことわかっていたんだよ。親父も他の従業員の手前、息子に職場では甘い顔を見せられないし、周りが納得できるくらいにならないと、簡単に継がせることも出来ない。今は、色んな部署を渡り歩いて修行中なんだ。フロントもやるし、客室も清掃も、事務だってする。大変だけど、他の従業員に認めて貰わないとね。いつまでも逃げていても仕方ない」
あまりの環境の違いに、理解しろというのは無理だけど、他人が思っている以上に、大きな会社を継ぐというのは大変なことだろうということはわかる。
それに、あのホテルの息子とわかれば、周りの態度も変わるだろう。自分だって、初めからそれを知っていたら、どうだったのだろうと考える。
剛の本質まで見ず、その前に恐れ多くて近寄ることさえしなかったかも知れない。
それか、自分が卑屈になって遊ばれていると勘違いしたかも知れない。
何も知らなくて良かったとも思える。
剛は続ける。
「自慢じゃないけど、俺、今までモテてきたし、女に不自由したことなかった。でも、それは親父の肩書きにぶら下がった俺だったからで、それがなければ誰も相手しなかったと思う。自分自身の肩書きにしなければ意味がないと思ったんだ。それに、肩書きや年収で判断する女性はもう懲り懲りだしね。素の自分を見て欲しかった。だから黙っていたんだ」
二階の部屋からは、春の花がちらほら咲いている庭が見える。
その後、人生で一番忙しいときを過ごした。
両親の顔合わせ、結納、結婚式の準備、新婚旅行の準備、引っ越し等、休む暇さえなかった。
剛と結婚することが、こんな大事になるなんて夢にも思わず、両家の両親に手伝って貰いながら結婚式まで漕ぎ着けた。
そして、八月七日、華の誕生日が二人の結婚記念日となった。
結婚式には、各界の著名人が大勢参加し、その式場に飾られた花は、華自身がコーディネイトしたもので、ブーケも手作りだ。
二人が座る真後ろの壁には、直径1メートル程もある大きな花のリースが飾られている。夏の代表的な数種類の花で造られており、そこには小さく“木田ファームより”と書かれてある。
憧れていたウエディングドレスを着て、大好きな剛の横に立つ。
剛は照れくさそうにしている。
会場には、ふて腐れた若葉の姿もある。
剛はそっと華の耳元でつぶやく。
「やっぱり、華は運命の人だった」
人生はいつだって、誰だってやりなおせる
END