最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
双子の騎士
次の日から、何故かイザベラの部屋には贈り物が届くようになった。
そのどれもがアステート公国の貴族達からで、多くのメッセージに〝王子が愛する姫君へ〟や、〝我らが未来の王妃様へ〟ときて、〝稀代の歌姫イザベラ様へ〟など、イザベラを沸騰させるような宛名が書いてある。
「あからさまなものですね」
美しいドレスや宝石などが詰まっているだろうそれらを眺めながら、ベルは大きく溜め息を吐いた。
その隣で、イザベラも困ったように眉を下げる。
「王子が最初の頃と態度を変えて私を構ってくださるからかしら」
恐らくはそれしかあるまい、とイザベラも溜め息を吐く。
二日酔いから回復してとても気分がよかったのだが、朝一番から届けられ続けている贈り物の山に辟易してきた。
「そうでございますね。あのような王子は今まで見たことがありませんから」
あのような王子とはどのような王子だろうかと気になるところだが、今はひっきりなしに届く贈り物の処遇を決めるべきである。
「これらを受け取ってしまうとまずいと思うのだけれど」
ちらりと窺うようにベルを見ると、こくりと頷かれた。
「懸命なご判断です。イザベラ姫が王子の寵愛を得ていると知った途端に豹変するような輩がなんの下心もなく贈り物などするはずがありません。下手に受け取ると、王子へご迷惑をかけることになるでしょう」
それだけは避けたい事態である。
こうなった今、王子の盾に少なからずなれているということだろうが、それが後々彼の不利益に繋がってはならない。
「紙とペンを用意してくれる?角が立たないようにすべて断ります」
そうして勉強の合間に、大量の手紙をベルに手伝ってもらいながら作成し終えた頃には陽が傾きかけていた。
驚いたことに、辛辣だった講師ですら猫なで声を出し始めたので、さすがのイザベラも気分が悪くなった。
エルゴルにだって権力に媚びへつらう人間はいた。とはいえ、そもそもエルゴルの持つ権力なんて高が知れているので、ここまでひどい事態に陥ったことはない。
(でも、アステートは大きな国だわ。その国の中枢に食い込みたいと思う人間は、それこそ数えられないほど存在している……)
それらすべてから、フェルナードのご機嫌取りのための道具として見られているということが、なんだか薄気味悪かった。
(そもそも私は、ただの盾なのに。フェルナード様が西の国と決着をつけられるまでの、繋ぎの存在だわ)
そんな自分にも、そんな存在に下心をもって近づこうとする輩にも、吐き気がする。
イザベラはベルに頼み込むと、歌の練習にと教えてもらった草原へと出掛けた。じきに暗くなるということではじめは反対されたが、よほど酷い顔をしていたのか、少しの気分転換になら、と渋々了承してくれた。
今日一日付き合わせてしまったベルにも、せめて自分が留守の間だけでも気分転換してきてほしかったが、それはきっぱりと断られた。
護衛に騎士をふたりつけられ、草原へと向かう。
声の届かないところで騎士ふたりに待ってもらうように言うと、姿が見える位置に必ずいて欲しいと頼まれた。
今日は騎士団棟からの見張りもないので、それもそうだと素直に頷いておく。そもそもここまで付き合ってくれている彼らの言うことに反する理由もない。
固い草を掻き分けて草原の上まで来ると、イザベラは空を見上げた。
高い空はまだ青く、山稜のあたりだけが橙色に染まっている。その間にぽっかりと赤く熟れた太陽が浮かんでいた。
夕焼けだ。
一昨日、フェルナード王子と見たそれと同じ。
(王子はなにを考えているのかしら。期間限定の盾である限り、私と親しくする必要なんてないのに)
それなのに、黒板を用いて親しげに会話をしてくれる。
微笑んでくれる。
態度を豹変させたのは、貴族よりむしろフェルナードのほうだ。
(ただ純粋に親しみを感じてくれているのかしら)
けれどもし、イザベラが人前で歌えないと知ったらどうなるだろう。それこそ手のひらを返すように冷たくされるかもしれない。
(そんな人ではないと、信じたいけれど)
無表情で迎えられた二年前の印象が強すぎて、やはりどうにも納得いかない。
あの日のフェルナードと、昨日一昨日の彼が、イザベラの中ではどうしても一致しないのだ。
(本当のフェルナード王子はどちらなの)
イザベラは考えるだけ考えたが、やがて疲れきって考えるのをやめた。
考えたところで答えも出ない。
(今はただ、人前で歌えるようになることだけを考えていなくては)
そうでなければ、傍にいることもできなくなるだろう。
小さく息を吐いて、思いついた端から歌を歌っていく。
己の唇からこぼれていく音という音は、イザベラの心だ。
それらがどのような形で人に届くのか、どのように受け取ってほしいのか、いつも意識しながら歌ってきた。
イザベラの心が歌となって空気に溶けたとき、世界にどんな変化があるのだろうかと、いつもわくわくしながら歌っていた。
どんな歌だっていい。
悲しい歌でも楽しい歌でも、子供が好む子守唄でも、人の心に染みるものは形を選ばない。
(私の歌を、フェルナード王子が聴いたら――)
今なら笑ってくれるかもしれないと思いながら想像してみたが、すぐ怖くなって歌えなくなってしまった。
あの人の微笑を知ってしまったからこそ、以前よりずっと拒絶が怖い。
(ただでさえ臆病なイザベラが、もっともっと臆病になってしまった)
一体いつになったら歌えるようになるの。
イザベラは心の中で自問する。
歌えなければ、あの人の傍にいることもできなくなるのに。
(それでも拒絶されることが怖いなんて)
恋とは厄介なものだな、とイザベラはこのとき初めて、恋を自覚した。
「我々から見たフェルナード王子、ですか」
太陽が沈んで辺りが暗くなる頃、さすがに心配した護衛が丘まで迎えに来てくれた。取りに戻ってくれたのか、手にはランタンが提げられている。
そんな彼らに、イザベラはフェルナードのことを訊ねてみた。
会って間もない自分があれこれ考えるより、フェルナードと長く過ごしているだろう彼らに、フェルナードについて些細なことでも教えてもらえたら嬉しい。
「厳しくて容赦ないですね」
ラフという名の騎士が即答した。
「冷血で頭が切れて、敵には回したくないなあと思いますね」
こちらはジェフ。彼らは顔は似ていないが双子だという。赤毛とそばかすが、イザベラとおそろいである。
イザベラにも変に畏まったりせず、明るい印象を与える青年達だ。
「厳しくて容赦なくて冷血……」
そんな彼らが語るフェルナード王子のイメージは、イザベラの中のものとだいぶ異なる。
「あ、今のは王子には内緒でお願いします。鍛練の厳しさが増しちゃうんで」
からっと陽気に笑ってそんなことを言うのが可笑しくて、イザベラも笑った。
「あ、笑った」
「イザベラ姫の笑顔げっとー」
面白い人たちである。
「王子のことなら俺達に聞くよりベルさんに聞いたほうがいいですよ」
「あの人、俺達より王子と付き合い長いんで」
「そうなの?」
そういえば、ベルはフェルナード王子が声を発せないことも知っていた。王子もベルの前では普通に黒板を使っていたし、それだけ信頼が篤いのだろう。
考えて、思わずもやっとなる。
(なんて節操なしなの。ベルにやきもちを焼くなんて……)
恋とは厄介である。今ならステラ嬢の気持ちが分かるかもしれない。
聞けば、ジェフもラフも一年半前に騎士に登用されたという。
「だから、イザベラ姫の歌声も聴いたことないんですよ」
「いつか聴かせてくださいね」
にこやかに笑いながらそんなことを言ってくれる。
有り難いが、今はそれに応えられないことが申し訳ない。
「王子の声のことだったら俺達知ってるんで、変に隠そうとしなくていいですよ」
部屋の前までくると、ラフが人差し指を唇に当てて茶目っ気たっぷりにそう言ってくれた。
明るくて気も利いて、とても爽やかな青年達である。
「ありがとう。またお話してくれるかしら」
勝手に親近感を抱いて、そんなことを言ってしまう。
ラフとジェフは勿論です、とにこやかに笑って一礼し、イザベラをベルに預けると手を振りながら去っていった。
「申し訳ありません。あれらはまだ騎士になったばかりで……、腕は立つのですが何分立場を弁えず」
ベルが何故かそんなことを言うので、イザベラは慌てて首を振った。
「そんなことない。できれば彼らにはあのままでいてほしいわ」
友達が出来たようで嬉しかったのだ。ベルに謝られるようなことは一切ない。
「ベル、私の国のエルゴルはね、国民と王族の垣根がとても低い国だったの。もしかしたらこの国では褒められたことではないのかもしれないけど、彼らとお喋りできてとても楽しかったわ。できればベル、あなたとももっとたくさんお話したい」
いい機会だからとお願いしてみると、ベルは目を丸くしてイザベラを見た。
いつもきりっとしている表情が緩んで、少し間抜けだ。
可愛いな、とイザベラが眺めていると、やがてふいと顔を反らして小さく頷いてくれた。
(こうして少しずつ少しずつ、この国で人との繋がりを作っていけたら)
簡単なことではないのかもしれないが、人を好きになれれば、きっとこの国も大好きになれる。
裏切った国の姫、という色眼鏡で見る人間もたくさんいるだろうが、それでもそうではない人達もいることがわかったのだから。
(フェルナード王子の一時の盾でもいい。この国に、私を好いてもらえる努力をしよう)
――そのためにも、イザベラは歌を歌わなくてはいけないのだ。